2009年12月23日

年忘れそっとナイト

まずは最近の録音より。
ノエル・ホーザ「不幸の予感」
邦題のイメージと歌詞の中身とのギャップがときどき話題になる曲です。

さて、12/28(月)19時頃から四谷だあしゑんかにて、
ほぼ月一のオープンマイクイベント「そっとナイト」があります。
飲んだり、食べたり、お喋りしたり、歌ったり、ギターを弾いたり。
私も、いつもより多めに演奏させていただこうかと思っております。
11時くらいまでやってると思いますんで、ふらりとお立ち寄りくださいませ!

2009年12月18日

マン・オン・ワイヤー

書かなければならない本がもう一冊。

フィリップ・プティ『マン・オンワイヤー』



フランス出身の綱渡り師が、今はなきニューヨークのツインタワー、世界貿易センタービルにワイヤーをかけ綱渡りしたときの記録だ。もちろん無許可。無謀な計画を実行に移していく様子は、まさにテロリストである。そして、その結果の美しさがあの事件とみごとな対照をなしていて恐ろしい。

フィリップ・プティについてウィキペディア(英語版)の説明

この人に興味をもったのはずいぶん前のことだ。
ポール・オースターが翻訳したものを集めたTranslationという本に、フィリップ・プティの「綱の上で On The High Wire,」が入っている。素晴らしく美しい文章なので、私はこれがぜひ日本語にならないだろうかと長らく思っていたのだ。
しばらくたってから、プティが新しい本を書いたことを知った。たぶん、9.11がきっかけになったのだろう。
それがこの『マン・オン・ワイヤー』であり、私は英語版をさっそく取り寄せた。ろくに本文を読まず、写真をしげしげと眺めるだけで満足した。そんなこんなですっかり忘れていたのだが、まさか映画化までされているとは。今年の秋に気づいたとき、アメリカでの公開はおろか、日本での公開も終わっていた。遅まきながら上記の翻訳を読んでみたというわけ。プティは来日して日本で綱渡りのデモンストレーションまでしていたというから、なんとも口惜しい話である。
とはいえ結局、「綱の上で」はまだ日本語に訳されていないので、ぜひ誰か訳してほしい。

そして、私は今、映画のDVD到着を待っているところである。

2009年12月17日

ガルシア=マルケス→シャキーラ(脱線)

こっそりホームページを復活させてデザインを一新させたりしている。特に意図はないが、まあいいやという感じである。
作業はまだだいぶ続きそうなので、とりあえずお休みしていた読書の話など。

この間のメインイベントは、なんといってもガルシア=マルケスの自伝「生きて、語り伝える」。待ってました。嬉しい。
vivir para contarla というのが原題。最後のlaは人生なのかな。だとすると、人生を語るために人生を生きる、みたいな意味だろうか。なんとなく、へびが尻尾を噛んでいるような、軽くていいタイトルだ。
それにくらべると「生きて、語り伝える」というタイトルはどうも好きになれない。
というか、歌手とか音楽家なんかもよく使う「伝える」という言葉自体が、私はどうも苦手である。基本的に、何をやっても「伝わる」とは思ってないし、別にそれでいいじゃないかという投げやりな気持ちがあるのだろう。
とはいえ、素晴らしい日本語タイトルも思い浮かばない。タイトルって難しい。そして翻訳も。

だいぶ脱線してしまった。
さて。急ぐ読書でもないので、じっくり楽しませてもらった。最近の読書で大きく変わったことといえば、電源のついたパソコンがそばにあることではないだろうか。それは当然のことながらインターネットにつながっている。
昔は分からないことがあっても読み飛ばしていたことが多い。
辞書はたまに調べるとしても、百科事典をひもといたりするほどの真面目な読者ではなかった。気になることがあっても、そのうちなんとなく見当がつくだろうし、わからなくても、そのうち忘れてしまう。
でも、インターネットなら気軽である。
だから、たとえばコロンビアの現代史や都市名など、分からないことがあれば、ちょこちょこっと調べてしまう。これは勉強になるが、なんとなくお気軽すぎる気もする。
そんなこんなで、読書がいつのまにかネットサーフィンになってたりしていることもある。

今回でいうと、一番の収穫は、ガルシア=マルケスからシャキーラへの脱線かもしれない。
ガルシア=マルケスが同郷であるシャキーラをたたえる賛辞が気になった。ついでに、彼女が生まれ、マルケスも暮らしたバランキーヤという街について。

「シャキーラの音楽は、誰のものとも似つかない個性の刻印が押されてあり、例え何歳であったとしても、彼女のようにイノセントなセクシュアリティを持って踊ったり歌ったり出来るような人間はいない。彼女はまるで自分で自分を発明してしまったかのようである」

いかにもマルケスらしい言い方。それはともかく、彼女の踊りをユーチューブで見たりしているうちに、私も「誰のものとも似つかない個性の刻印」に魅了されたというわけ。
でも、シャキーラのことはまた機会があったら別のところで書こう。

2009年12月14日

また新しい歌が

今さらながら、「カーニヴァルの朝」を訳してみた。

♪また美しい朝 新しい歌が……♪

今さらというのも、ボサノヴァといえばこれを思い出す人も意外に多いのではないかと思うからだが、典型的なボサノヴァとは言えないだろう。
私も、実は結構苦手な曲である。
映画『黒いオルフェ』でこの曲が使われるシーンは好きだが、自分で歌う気にはあまりなれなかった。
まあでも、やっぱり訳しておこうということでやってみた。
以上は、暇人の言い訳というか、たわごとである。
『黒いオルフェ』といえば、なんといっても路面電車のシーンが好きだ。
リオに行ってあの電車に乗ったときが、たぶん私の人生で一番幸せだった瞬間かもしれない。
幸せというと語弊があるかな。
とにかく興奮した。

2009年12月8日

試行錯誤は続く

昨日はたぶん今年唯一の忘年会だった。
師走というが、私の仕事はお店以外もう大体終わっている。
こんなんで大丈夫なんだろうか、と不安も抱きつつ、
ひきつづき録音作業を楽しむ、というか苦しむ。

というわけで、また数曲アップ。
おうちには帰らない
よせばいいのに
トローリーソング
フェリシダージ

2009年12月5日

ひさびさの

約3カ月ぶりの投稿です。
この間、仕事がわりと忙しかったこともあり、ほとんど録音もしていなかった。
ギターは弾いていたが、ライブ活動も低調、全体に低調な人生である。

ひさびさにまとまった時間がとれたので、いくつか録音してみた。
録音の感覚が戻ってこない上に、なぜか少し演奏や歌の感じが変わっており、
しかも、これからどういう風なものをやりたいのか、いまひとつ分からない。
旧作も含め録音しなおし、新しいCD-Rもつくりたい、というのだけがあって、
方向性が定まらない状態だ。
やっぱ安いシンセ買ってストリングス入れようかなあ、
それともギターと歌だけで行こうかなあ、などといい加減なことを考えている。

というわけで、やや中途半端な状態ながら何曲か。
偽りのバイアーナ
マダムとの喧嘩はなぜ?
四葉のクローバー
私のサウダージ

読書記録とかもいろいろ書こうと思う。
最近、ツイッターとかで何となくお茶を濁していたが、なんとなく物足りない気がしてきた。
(何がどう物足りないんだろう……)

2009年9月6日

H印のバイーア

ひさびさの更新。
なんだか全体に低調な夏であった。
ライブとかもなく、地味に練習するばかりで、
新しい翻訳や録音もほとんどできかなかった。
仕事は忙しく、しかし地味だったりお金にならなかったり。
まあ、不景気だし、仕方ないかな。

そんなこんなで、夏の終わりに大好きな曲のひとつ。
Bahia com H
バイーアの綴りは昔からHが入るんだよ、という歌で、
あとはなんというか、中身というより口調や単語の響きが、
バイーアらしいなあ、という曲のように思える。
訳すのが難しいので、少し理屈っぽく、
この発音しないHという文字に少しスポットをあててみた。
背景のセミの音、聞こえるかな。

2009年6月16日

6/25ライブ@大塚Espeto Brasil

6/25(木)は大塚のブラジル料理店にてライブです。きっといいライブになります。お勧めです。

19:30~22:30 Music Charge 1500円+オーダー
Espeto Brasil (豊島区南大塚3-29-5光生ビルB1)

OTTは1st ステージにソロでやります。2nd ステージはAzur-Azul(福島良元+エミィ)、ボッサの定番からフレンチポップまで、お洒落にきかせてくれる素敵なデュオです。美味しいブラジル料理とともに、くつろいでいってくださいませ。ライブ後は飛び入りも可能です。

良元さんは、ジョアン・ジルベルトやバーデン・パウエルなどのギター・スタイルを深い本質的なところから考察しながらコピーしたりしている、知る人ぞ知るギタリスト。フレンチポップにも、ちゃんとした深い理由があるのです。私は特に理由もなく(笑)、いつもの日本語、ポルトガル語のほか、英語やフランス語やスペイン語もまぜてマルチリンガルな感じで対抗してみようかと思います。

2009年6月9日

ロダーリ再び

ジャンニ・ロダーリのことは前も書いただろうか?
特に素敵なやつを引用してやろうと思いながら読んでいたのだが、これだ!というのはなかった。全体にはとてもいい本だと思う。でも、お話を毎日できる父親には絶対なれそうにない(涙)。



あとは、ニザーミー『ホスローとシーリーン』(東洋文庫)なんかを読んだり。
どんだけ美男美女なんだ! とか想像しながら読むのは楽しい。

twitter

http://twitter.com/ottwaki

ずいぶん前に噂をきいて眺めたときはチンプンカンプンだった。今回、ようやく少し理解できたので登録してみた。
どうなるか分からないけど、長いあいだmixiというものにぼんやりとした違和感があったので(すっかりお世話になってるけど……)、より気楽にできるんじゃないかという期待はある。

2009年5月29日

ポエジーは悪徳につながっている

新しく訳した曲をふたつ。

Que Reste-T-Il de Nos Amours(I Wish You Love)

古いシャンソンらしい。私は例によってジョアン・ジルベルトから入ったが、
なんか暗い歌だなと思っていた。というか、私が真似すると妙に陰気になってしまう。
フランス語でうたっているのを聴くと、意外にそうでもない。
こういうふうに、カヴァーのカヴァーをするとき、原曲に戻らないとどうしていいか分からないということはよくある。

Linda Flor

これはいまだによく分かっていない。
禁断の恋を可愛く歌うエロさ、みたいな感じかと思ったのだが、まったくの誤訳かもしれない。
この歌の意味や背景について、知っている方はぜひ教えてください。

本を一冊。
私にとっては珍しい本を読んだ。佐藤和歌子『角川春樹句会手帖』。
なかなか面白かった。詩というものの正体を何となく見たような感じもする。それはけっこう俊敏な筋力みたいなものだし、もしかしたら音楽もかなりそうだろう。詩は善良さより、悪徳との親和性が高いのか。私としては、できれば善良路線を進んでいきたいんだけど、そんなことではだめかもしれない……。
ま、だめでもいいけど。

2009年5月27日

暗がりの子どもたち

クラブといえば、大音量の音楽、そして照明は暗い。
子どもたちは結構そんな環境を楽しんでいるようだった。
ミラーボールなんて、結構家にひとつあると、便利な子育てグッズになるかもしれない……。

暗くてよく見えませんが……。


カエルでごろごろ


子どもといえば「豆事情」です

2009年5月18日

子連れファミリーもゆったり楽しめるイベント

こんなイベントに出演させていただきます。私のライブは、16時くらいから40~50分程度の予定です。





Object Recordsがお送りするSunday Afternoon Party ”marble” の第3弾
日曜の午後ということで深夜に遊びに出かけるのは ちょっと…って人や
子連れファミリーなども気軽にゆったり楽しめるパーティーです。
★禁煙(喫煙スペース有り)★赤ちゃんスペース有り などなど

今回は前回に引き続き日本語ボサノバを優し~い歌声で聴かせてくれるOTTさんの
ライブやDJがほのぼのとした日曜の昼下がりを演出します。

marble vol.3

2009.5.24(SUN) Open:14:00-20:00
Door:1500/1d
at Orbit
 東京都世田谷区太子堂5-28-9 J&I bld B1F  
 Tel:03-3411-3810

Live
OTT (http://www006.upp.so-net.ne.jp/ott/)

Dj
Fulore (OBJECT)
Sano
JOE McCOY (TOROT)

Leslie (OBJECT)


Radio
http://std1.ladio.livedoor.jp:8000/orbit.m3u

Info
http://www.objectrecords.com
http://www.orbit.ne.jp

ミニアチュール

しばらく、読書記録を書いてなかった。
面倒なので、面白かったものから何点か思い出して書こう。

ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』
これは、文学部一年生の教科書にしたらぴったりなんじゃないかという、非常によく書けた本。いわゆる読書好きにも、読書が好きかどうか自信をもっていえない人(私はわりとこのタイプ)にも、お勧めです。

小説では、オルハン パムク『わたしの名は紅』。
ちょっと長くて翻訳は読みにくいが、テーマが面白く、かつ一応推理小説仕立てにもなっているので、最後までたどり着いた。


細密画といえば、なんといっても面白いのは山田和『インド ミニアチュール幻想』だろう。ちょっと調べたら、『インド細密画への招待』なんていう新書も出ていたので、さっそく買ってみた。とはいえ、『わたしの名は紅』を読んだ後に眺めたいのは、ペルシアやトルコの細密画である。というわけで思い切って訳もわからず洋書を注文してみた。リスキーだなと思ったが、意外によかった。眺めているだけで楽しい。

2009年5月17日

もうひとつ映画

先日、気楽な映画をみたいと書いたが、結局ボサノヴァ映画ではなく、『スラムドッグ$ミリオネア』にいってきた。
うーん、いまひとつかなあ。『トレイン・スポッティング』をとった監督という時点で、あまり期待しないほうがよかったかも。実は、これの原作小説『ぼくと1ルピーの神様』は前に読んだのだが、そのときの感想が、「映画化するとよさそうだなあ」というものだったので、きっと面白いだろうと思いこんでしまったのである。


「辛い境遇にある子どもたちの話」っていう意味では、ふたつの映画は少し似ている。
で、ハナ・マフマルバフの映画が、本気でつくりすぎちゃって辛い、怖い、というものだったとすれば、
こちらは、なにか本気さが足りないような、しかも奇跡や物語の力も信じていないような、中途半端さが伝わってくる……。しかし、味にうるさいグルメみたいで、嫌な感じだなあ(私が)。

2009年5月14日

「子供の情景」

はシューマンで、「子供の領分」がドビュッシーだったっけ。
この映画のタイトルは、どう考えたって「恥辱のあまり崩れ落ちたアフガニスタンの仏様」だろう。
邦題のせいにするつもりはないが、わりと無防備な状態でふらりとこの映画を見て、あまりに怖いのでびっくりした。
ほとんど、恐怖映画である。
子役は素晴らしいし、ハナ・マフマルバフの才能もすごいと思う。だけど、これは何かやりすぎという感じを受ける……。


気楽な映画を見たくなってしまった。
たぶん、こちらはかなりお気楽でありましょう。
でも、こういうのを喜んで見てる人々には、ちょっと上の映画も見て怖がってほしい気もする……。
爆弾よりも本を。

2009年4月18日

或る女

新訳、「或る女 una mujer」をはじめ数曲。
ジョアン・ジルベルトが歌っているスペイン語の歌である。
歌詞は、女とはかくあるべき、みたいなことをオッサンが説教しており、
ついでに口説いているんじゃないのか、という疑惑もある赤面もの。
日本語訳は少しその辺を薄めてみた。
歌っていてかなり恥ずかしいからだ。

私はもともとスペイン語を勉強していたので、ポルトガル語もスペイン語風になりがちだ。
大学で少しポルトガル人の先生からポルトガル語を学んだが、
彼は私がスペイン語風に発音すると機嫌が悪く、フランス語を学んでいる女子学生が、
フランス語風に発音すると機嫌がよかった(単に女に甘いだけかもしれない)。
私は、文化とはそういうものだと思った。
ジョアン・ジルベルトのスペイン語は、もちろんポルトガル語風だ。
これが、私にとっては非常に心地いい。

2009年3月13日

またもバイーアもの

ひさびさの新訳。
俺はバイーア人byドリヴァル・カイミ
なんか最近カイミとかのバイーアものばかりやってる気がする。
もう少し別の方向を開拓した方がいいかな?

2009年3月8日

だあしゑんか1周年ライブ

先日はたくさんの方々に来ていただき、ありがとうございます。
今回は動画をたくさんとってもらったので、お暇な方はぜひ。

「胸の振り子」をライブでやったのは初めて。この辺までは落ち着いたのんびりムード。


「イザウラ」。知人の子どもが素晴らしいダンスを披露してくれ、私はあっけにとられた。


アンコールないけど、勝手にもう一曲、「トローリーソング」。子どもも暴れてます。


柳家小春師匠の「江戸の四季」(だったかな?)。日もすっかりくれて、いい感じ。


そして、ボサツさんの弾き語り。途中からですみません、「炭坑節」です。美しくも可笑しいです。


しばらく、ライブの予定はありません、イベントとかあったら、呼んでくださいませ!

2009年3月6日

新しい録音機器 OLYMPUS LS-10

新しい玩具を買ってしまった。
実は仕事に使うという言い訳もあるのだが、最近はあまり仕事もないので、完全に玩具となっている。
高性能である。これを使っていろいろ弾いてみると、演奏上のいろんな欠点が耳につき、大変だ。勉強になる。

今日は雨ふり。
「三月の水」などを録音してみた。

2009年3月3日

一周年記念ライブなど

<だあしゑんか>一周年記念弾き語りライブのお知らせ。
出演:柳家小春(三味線、唄)、ボサツノバ(vo. g)、OTT(vo. g)
No Charge (オーダー+投げ銭)
15:00 OPEN 16:00~ 
OTT 17:30~ 
小春師匠 19:00~ 
ボサツさん 20:30~ 飛び入り演奏者、募集中

長時間のイベントですが、最初から最後まで参加する必要はまったくありません。 お好きな時間にふらりといらしてビールを飲みながら、音楽に耳を傾け、お店がまがりなりにも続いていることを祝っていただければ嬉しいです。 柳家小春師匠の三味線と唄はもちろん、ボサツノバさんのギター弾き語りは、ぜひ一度みなさんにも観ていただきたい愉快なものです。ライブ終了後は、飛び入りタイムというか、だらだら時間もあります。 ぜひ、お誘い合わせの上、遊びにいらしてくださいませ!!

*入場料などはありませんが、OTT以外のお二人には投げ銭を、あとビールもたくさん飲んでくださいませ。参加自由、出入り自由、ただし予約は受け付けてませんので、席を譲り合いながら、お願いいたします。

さて、私はこれからしばらくライブは少なめにして、改めてちゃんと今までの曲を丁寧にまとめて録音しようという気になっている。
「偽りのバイーア女」
「想いあふれて」
うーん、もうちょっと精度をあげたいなあ……。

2009年3月2日

大塚Espeto Brasil

先日の大塚でのライブ。
写真提供=yagi

なんたってボサツノバンドはすごかった。








私はライブ直前にいろいろあって混乱していたが、まあなんとか辻褄を合わせたという感じ。
よねやん氏のアンデスも快調。






わざわざ高知からお客さんがいらしていて、びっくり。
ありがとうございます!




2009年2月16日

そっとナイト

これまで、ほぼ毎週というペースで続けてきた「そっとナイト」。私の都合により、今後は月1~2回、不定期開催という形とさせていただくことになりました。お手数ですが間違えのないように、「ボサノヴァ日本語化計画」のHP、もしくはmixiのコミュで開催予定日をご確認の上、お気軽に遊びにきてくださいませ!

開催予定日
2/23 19:00~
3/23 19:00~
4/6 19:00~

2009年2月7日

だらだら

今回は家でだらだら弾いてる感じを録音してみることにした。
音源はこちら
最初の曲は「胸の振り子」。以下、大体おなじみのボサノヴァです。

*注意 40分以上と非常に長い上、聞き苦しいところが多々あります。ファイルもデカイので、ダウンロードにも時間がかかると思われます。お暇のある方のみ、ちょっと聴いてみましょう。

2009年1月22日

ジャズとペンギン

こちらはお互いにまったく関係のない2冊。

瀬川昌久+大谷能生『日本ジャズの誕生』
対談本なんて安易に読むもんじゃないと思いつつ、つい買ってしまった。この本が扱う、戦前から戦後すぐにかけてジャズっぽい音楽に惹かれるからだ。二村定一の「青空」「アラビアの唄」、私もライブでやったことがある「南京豆売り」、服部良一アレンジの「山寺の和尚さん」「流線型ジャズ」、そして戦後の笠置シヅ子のブギウギまで。
2人の対談者と同じく、私もときどき、歴史の「もしも」で日本のポピュラー音楽は少し違った形になる可能性があったのではないかと夢想することがある。
そして、踊る、歌うという要素から離てしまった以後のジャズにはどうも興味がもてない。
本としては、まあ資料集という感じだが、色川武大の素敵な文章が引用されていたのが嬉しかった。『唄えば天国ジャズソング』とかいう本らしい。こんど探してみよう。

ちょっと長いけど、引用。

「……二村定一がそこで唄っている「アラビアの唄」というのが、実にまたいいのである。(中略)詩も見事にナンセンスでくだらないが、曲もまた、エキゾチックの安物で、格調などはケもない。誤解されると困るが、くだらなくて、安手で、下品に甘くて、この三つの要素が見事に結晶していて、出来あがったものは下品であるどころか、ドヤ街で思いがけず柔らかいベッドに沈んだような、ウーンと唸ってちょっとはしゃぎたいような気分にさせてくれる。
私にいわせれば、唄とはこういうものであってほしい。変に意味があっては困る。人生に相当するような重い部分があってもいけない。改めて手にとれば実にくだらない。しかしそのくだらなさが昇華されて、現実のくだらなさとはまた別になっている必要がある。
それが何故、命から二番目に大切なものになるのか、そう思わない人にはなかなか説明しにくい」



佐藤克文『ペンギンもクジラも秒速2メートルで泳ぐ』
なんとなく手にとったのは、大好きなペンギンのあまり可愛くない写真が巻頭にあったからだ。
データロガーというさまざまな記録装置を使って、ペンギンやらウミガメやらアザラシの、まあどうでもいいけど未知の生態を探求するという、非常に愉快な本だ。
ペンギンは潜るとき息を大きく吹い、アザラシは吐くらしい。その結果、彼らの泳ぎがどう違うか……。
本当にくだらなくて、命から二番目に大切なものになりうる感じ。
あれ、無理やり関係づけちゃった。

怠けさせてください

相次ぐ、派遣切りのニュース。
私が直面しているのは解雇のような突発的な事態ではなく、仕事がだんだん減っていくといった、じりじりしたものなので、自分がこうなるかもという感覚とはちょっと違う。それでも、恐怖はある。たぶん、かなり安定した職についている人であっても、恐怖を感じるのであろう。
だからだろうか、ヒステリックな拒否感みたいなものをときどき感じる。
経済が悪化して多くの人が職を失い、家まで失っているという事態に対し、「この人たちはまじめに働こうとしている」「いや、努力していなかったからこうなったのだ」といった、個人の仕事に対する真面目さや努力の問題として語られるのを聞くと、私は冷や冷やする。
なぜかというと、私が怠け者で、明らかに仕事に対する情熱に欠けているからだ。
私が路頭に迷うことになったら、たぶん誰も同情してくれないだろう。

ポール・ラファルグ『怠ける権利』
80年近く前に書かれた本で、「働く権利」ではなく、「働かない権利」「怠ける権利」「1日最長3時間労働」を主張している。皮肉や逆説たっぷりで、当時のさまざまな文脈を読み解かなければならないので、結構面倒だが、面白い。
労働意欲というやつは、高まれば高まるほど賃金の全体的な低下を招く、という性質ももっている。
もちろん、私ひとりが怠けた場合、私の賃金は低くなる。
ぜひ、みなさんにも怠けてほしい。



とはいえ、私にも他人のために役立つことをしたいとか、人に認められたいという欲求がないわけではない。
人間にとって怠けと労働をめぐる関係は、とても複雑なのである(と偉そうに)。
このことを非常にわかりやすく描いた名著も、ついでに紹介しておこう。
トム・ルッツ『働かない―「怠けもの」と呼ばれた人たち』
長い本だが、細部も非常に面白いです。

国語、日本語

特に意図したわけではないが、年末から年明けにかけて、日本語の現状と将来を憂いた2冊を読んだ。

福田恒存『私の国語教室』
現代仮名遣いで育ったので、元に戻せと言われも困ると思いつつ読んだが、読後には私も当時を生きていたら、頑なに反対したかもしれないと思った。それだけ説得力があるということなのだが、もう過ぎたことだしいいじゃん、というのとは違う別の違和感も、自分のなかに少しある。



水村美苗『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』
言語間の非対称性、世界語としての英語の位置、翻訳の意味など、この本が描く世界に私も興味をもってきた。なるほどと思う部分も多い。
繰り返しの多いくどい文体に閉口したのは、たぶん、一点において著者の思いに感情移入できなかったからだろう。
それは、「国民文学」に対する思い入れの深さだ。
読者としてそういうものが好きかどうかの問題だけじゃない。
私は基本的に文学は翻訳可能だと思っているし、そうじゃないとしても翻訳不可能な要素にはあまり興味がない。
その言語でなくては伝わらないニュアンス。それが言葉の魅力のひとつであることは確かだ。
でも、その微妙なもののなかにこそ重要なものがあるとは考えないのである。
これは、多分わりと少数派の感覚なんじゃないだろうかとは思う。
いろんな意味で正しいと思いつつ、どうも反発せずにいられないのは、福田恒存の本と同じであった。

2009年1月3日

謹賀新年


みなさまにとって素敵な牛が見つかりますように。
そして、ニコニコな年となりますように。

*「十牛図」の解説はこちらなどでどうぞ。