2008年6月15日

陰気な読書週間

このあいだ一冊の本を読み通せなかった話を書いた。
なんだか訳者である木村榮一センセイに申し訳ない気がして、同氏訳のフリオ・リャマサーレス『黄色い雨』を読み始めた。
センセイとは別に知り合いというほどでもないが、一度だけお会いしたことがあり、なんとなく一方的に尊敬している。
村人たちが次々と去り、廃村と化した村に一人残った男が死んでいくまでを描いた小説。
ひたすら陰気な話ではあるが、これは最後まで一気に読んだ。
その暗さとは関係なく、ひさびさに読書の快楽というものを感じた。
文章が美しく、そしてどこかに自然や人間の生活に対する愛情のようなものがあるからだと思う。



続いて、よせばいいのに今度はニューヨークの地下で暮らすホームレスを描いた『モグラびと』。
ニューヨークの治安がひどかった頃の話だから、今はどうなのか分からない。
私はこの頃ニューヨークへ行き、地下鉄は確かに怖かった。
その後、7年くらい前に行ったら、地下鉄もずいぶん変わっていて驚いた。
モグラびとはどうなったのか、気になるところだ。
もっとも印象的なのは、地下にグラフィティの大作を描いていたアーティストたちのエピソード。
そして、地下にコミュニティやファミリーみたいなものがあって、
人間はそこでも食べ物ではなく、他人からもたらされる「尊厳」を糧に生きているという事実だ。



アメリカほど貧富の差が激しくない日本で、自殺者が多いことを考えた。
ときに自殺にまで至る危険な病としてのうつ病について語った新書があったので読んでみた。
臨床医の立場で書いた、その症例や治療の考え方は大いに参考になったが、最後に日本の高い自殺率や社会の状況との因果関係について述べた部分は印象論に終始しているようにも思え、やや検証が物足りない気がした。
これは他の専門家が書くべき部分なのかもしれないが。



そして最後に、若桑みどり『クアトロ・ラガッツィ』。
だいぶ前に出た本なのでいまさらという感じはあるが、とにかく面白い、素晴らしい。
まあ、これも話は陰鬱だし、キリシタン弾圧なんて、現代日本社会の暗部にそのままつながっているとも言えるだろう。
それでも、ここには私の愛するものや恐れるものがすべて描かれているといってもそれほど誇張ではないし(まあちょっと誇張だけど)、
とにかく今は亡き著者に最大限のリスペクトを表明したい。

ちなみに、「らくだ節」はまさにこの時代の日本を想像してつくった私なりのフィクションだが、
若桑さんの本を読んだ後に聴くと、なんとショボいことか……。
いや、読まなくてもショボいんだけど(笑)。

2008年6月7日

ジェムレ

最近、暇なのでよくテレビを見ている。
スポーツやニュースも見るが、特になごみ系のドキュメンタリーが多い。
しかし、あまりにもぼんやり観ているので、観たそばからすぐに忘れてしまうようだ。
昨日、友人と話していて、すごく感動した番組があったのを思い出したので、メモしておこう。
「世界ふれあい街歩き」のトルコ・サフランボルの回。
ジェムレが三回降ってくると春が訪れるというので、ジェムレって何だろうと街の人々に聞いてみると、バラバラの答えがかえってきて訳がわからない、という素敵な話だ。
この番組のアバウトなつくり方は、非常に面白い。
毎回、このように面白くはならないのだが、たまに奇跡的なことが起こるから見逃せない。

そんなわけで、私も毎回奇跡的なことが起きないかと願いつつ、懲りもせずにアバウトな録音をしているわけだが、もちろん、そんなことはめったに起きない。


サウダージがサンバを作った
ずっと訳そうと思っていたのだが、意外に難しくてできかなかった。
恋人と別れて歌だけが残った。その「所有権」を主張している、というのが私の解釈だ。
しかし、本当にそうなのか、ちょっと自信がない。

あなたは愛を知らない
これも別れた女への嘆き節。

ヴォセ・エ・リンダ
カエターノ・ヴェローゾの代表曲。
ボサノヴァとは言い難いが、私にとってはとても思い出深い曲。
ようやく録音できた。