2012年1月21日

500年の歴史にボサノヴァなし--「火の記憶」完結

神話時代のはるかなる時間とコロンブスの「発見」から1984年までの約500年。
約500ページ×全3冊。最初の1冊が出たのは2000年末だから、翻訳刊行だけでも軽く10年以上かかっているわけだ(原著は1982~)。
まずは、完結を言祝ぎたい。素晴らしい仕事です。

すこし詩的な言葉で書かれた歴史の断片集という感じだろうか。
それぞれの断片は出典というか参考書籍が挙げられており、その書名を眺めるのも楽しい。
ついでに、この10年間で読書をしながらインターネットで調べるという悪癖が可能になってしまったので、分からないところをあれこれググってみたり。

とはいえラテンアメリカの通史として勉強になるかといえば怪しい。
20世紀の巻は、音楽家だけでもヴィラ・ロボスやアタウアルパ・ユパンキ、アグスティン・ララ、ボラ・デ・ニエベ、カルロス・ガルデル、カルトーラ、アリ・バホーゾ、カルメン・ミランダ、シコ・ブアルキなんかが華々しく登場するが、ボサノヴァの誕生は触れられていない。
文学にしても、ガルシア=マルケスやフアン・ルルフォ、パブロ・ネルーダ、ジョルジ・アマード、ギマランイス・ローザなどなど、これも挙げだしていったらキリがないもの、バルガス・リョサやオクタビオ・パスには触れられない。まあ、なんとなく著者の好みも基準も分かるような気もするし、特に異論があるというわけでもない。
ただ、どちらかというと、こんな風に「誰をどう書いているか」が気になる20世紀よりも、知らないことだらけだった最初の2巻のほうが面白かった気もする。

日本の歴史をこんな風に書くことができるかどうか、考えたりもしてみる。もちろん難しいけれど、無理だとは思いたくない。そんな風に感じさせてくれる書物でもある。
そして、かの土地にまた行ってみたいとも。メキシコ、ブラジル。まだ行ったことのないあれこれの国々にも。




2012年1月19日

アフガニスタンのラジオ

昨年の末、オーディオ機器を衝動買いした。ネットワークオーディオプレイヤーというらしい。
リビングのいつものオーディオセットとパソコンのネットワークをつなぐイメージなのだが、こんなものが本当に必要なのかは怪しいし、ハードとしてはともかく、ソフトの使い勝手が悪く、思っていたほど便利ではない。

とはいえ、これを買ったことにより、今までになかった習慣がひとつ生まれた。夜、読書しながらアフガニスタンのインターネット・ラジオを聞くのだ。
とはいえインターネット・ラジオにこの機械がどうしても必要という訳でもないので、成り行きというか、偶然これがしっくりきたというだけの話。
アフガニスタンの局が気に入ったのも、ごくごくいい加減な理由で、たぶんアジアのアフガニスタンで両方Aではじまるから、上のほうにあったに違いない……。

しかし、私はかなりショックを受けている。
聞くたびに驚くし、楽しいし、笑えるし、びっくりするし、感動する。
ラップやソウル、ロックやラテンなども貪欲に吸収しつつ、根っこにあるのはインドやペルシャ・アラブ系の音楽らしい。でも、たぶん音楽のスタイルとか、そういう問題じゃないのだ。
それよりも、音楽への切実な欲求みたいなものをひしひしと感じる。

小さな想像力をふりしぼって、こういう音楽を生んだかの地の厳しい状況を考えると、恐ろしい。
ちょっとネットを調べただけでも、たとえば田中宇氏によるこんなレポートがある。
http://tanakanews.com/a0601afghan3.htm

検問所の脇には、土に刺した棒の先に長いテープが巻き付けられ、はためいていたりする。タリバンの兵士が「見せしめ」のため、没収したカセットからテープを全部引き出し、もつれた毛糸の玉のようにして、棒の先につけて立てたのだろう。砂漠の快晴の空の下、日光を反射してテープがきらきらとはためく光景は、幻想的だ。アフガニスタンでは、お墓の上に金銀のモールをつけておく習慣があり、この「音楽の墓場」は、それとも似ている。

ネットラジオなのでミュージシャンの名前はわかるが、歌の詳細などその他はさっぱり分からない。
このレポートなどを参考に想像してみると、かなり馬鹿馬鹿しい歌が多いのではないかと思う。
でも、ときどき読書を忘れてしまうほどに夢中になって聞いてしまうことがある。

ちなみに私が毎度きいているのは、BakhtarRadio.comというラジオ局。いろいろ聞き比べた訳ではないので、他にももっといいのがあるかもしれない。
ただ、そういうちょっとした違いは、たぶんあまり重要じゃないという感じもする。

2012年1月10日

あたらしい年

今年もよろしくお願いいたします。


*写真は、最近は毎年「帰省」している妻の実家付近で撮ったもの。

今年はどういう年になるだろうか。自分に関するかぎり、それほどいい予感はない。
せめて、これを読まれている皆様にとってはよい年でありますように。
私にとっては少しじっくり考え、かつ心を入れ替える年なのかもしれない。
いや、以下のことをふまえれば、考えるよりも悔い改めよな感じかも……。

以下は、ひさしぶりに読書感想文でもある。
年末に読んだ最後の本は、バルガス=リョサ『密林の語り部』。
そして、年始に読んだ最初の本はオレン・ハーマン『親切な進化生物学者―― ジョージ・プライスと利他行動の対価 』。
個人的には、バルガス=リョサは放っておくとどうしてもきまじめすぎる印象があり(少しハメをはずした作品のほうが好き)、圧倒的に後者のほうが面白かった。

それにしても、片方は滅びの危機に直面した民族と語りの力について、 もうひとつは動物や人間の善良さ、利他行動がいかに進化したかについて。つながりのなさそうな2冊だったが、『親切な進化生物学者』の「謝辞」に『密林の語り部』のことが書いてあり、びっくりした。
確かに、2種類の語りが交互に絡み合いながら進んでいくスタイルは似ているし、インスピレーションを受けたといわれれば、なんとなく分かる。
ご丁寧にも、こういう偶然には神秘的なメッセージのようなものを感じがちである、というような内容が『親切な進化生物学者』の「訳者あとがき」に書かれていて、しかもこの訳者、実は尊敬する大先輩であったりもするから、戸惑わされる。

昨年の終わりくらいだろうか、私は他人に言えない恥ずかしい体験をした。
ぼんやり自転車に乗っていたとき、視界の隅っこで老人が倒れたのだが、私の心はしばらく動かず、そのまま通り過ぎようとしてしまったのだ。
はっとして戻ろうとしたが、もう別の誰かが駆け寄り、助け起こしていた。
私はものすごく恥ずかしい気持ちになり、それから誰にもその話をしていない。
今も、一体この続きをどう書いていいのか、よく分からない。