2008年10月31日

大塚ライブ

鬼子母神で都電に乗り換え、大塚まで。
体調はいまひとつだったが、「チンチン」の音とともに電車が走り出した瞬間、なんかいいライブになりそうな予感がした。
そんなわけで、私にしては珍しく、割と安定したいい演奏だったように思う。
共演の米山さんも、少し調子外れの音が素敵なアンデスを駆使して、いい具合にやってくれた。
それにしても、お客さんが少なくて残念。
ブラジル料理も美味しくて、いつも楽しい雰囲気の店なのに、寒風が吹いていた(笑)。

トローリーソング


三月の水

ボサツノバ@だあしゑんか

先日行われたボサツノバのワンマンライブ@だあしゑんかの模様。
ご本人によると、ワンマンライブというのは初めてらしい。
たっぷり2時間、ギターと歌だけで繰り広げる世界は、一種の曼陀羅のようだと書いても、まあそれほど罰当たりでもないだろう。なかでも炭坑節やらCan't Take My Eyes Off Youやらをとりまぜたナンバーは美しくも楽しくて素晴らしかった。「仏教色」の強いレパートリーもいくつか披露。自分のやってる店のことでなんだが、これほどお得なライブは、あまりないのではないだろうか……。

*思い出してみると大変恥ずかしいのだが、私の最初のライブはワンマンだった(それも2時間くらいの)し、その後も半分くらいはワンマン(つまり自主企画)である。私自身は、ワンマンは無茶だからこれからやめようかなと思っているところだ。

2008年10月23日

シリアの花嫁とオフサイド・ガールズ

今回は珍しく映画の話だ。
友人のお誘いで『シリアの花嫁』という映画を見ることになった。
ゴラン高原のイスラエル占領地から、シリア側へ嫁ぐ結婚式の一日を描いた物語。
複雑な政治情勢を誰もが共感できる「家族の物語」にしっかり落とし込んだのは、素晴らしいと思う。
エンターテインメント性もちゃんとある。
NHKのドキュメンタリーなんかで、谷間の境界線を挟み拡声器で話す住民の様子を見たことがある人もいるだろう。このあたりの問題に興味のある方はぜひ映画を観てほしい。

とはいえ、私としては、大声では言えないような小さな不満が胸の奥に残った。
真面目で立派なよくできた映画ではあるけど、この映画には何かが足りない気がしたのだ。
映画ならではの「魔法」みたいなものだろうか。
もちろん、NHKのドキュメンタリーを観るより、ずっと強い印象は残す。でも、その延長線にあるような感じがしないでもなかったのだ。

どんな映画にそんな魔法があるのか、ということで、
今年DVDでみたイランの『オフサイド・ガールズ』を紹介したい。
男性社会で翻弄される女性たち、というテーマは、それなりに似ている。
だが、こちらは不真面目というわけでもないが、サッカー観戦をしたい女性たち、という政治的にも些細な出来事を描いている。出てくる「ガールズ」も、みな人格者とは言えない。
『シリアの花嫁』なんかに比べると、明らかに分が悪い。全然、立派じゃないのだ。
けれども、私はこの映画に夢中になったし、最後までその世界に吸い込まれたままだった。
『シリアの花嫁』を観ながら、いろいろ考え事をしてしまったのとは、ずいぶん違う体験だ。

私が言いたいのは、どちらが優れているということとは、ちょっと違う。
検閲の厳しいイランでささやかな反抗を試みることと、別の意味でやはり厳しい状況にあるイスラエルにおいて、センシティブな政治問題を正面から扱うことは、同列に論じるべき事柄ではない。
けれども、ひとつの映画のなかにある「立派さ」「真面目さ」、もうひとつのなかにある「ユーモア」「悪戯」。
結果的にはどこか似た結論で終わってる2つの映画だけに、これは、比べずにはいられない。
面白い作品の創作というのは、そもそもやや不道徳的なことなんじゃないだろうか、と考えてみたりする。

2008年10月14日

観光局のサンバ

バイーアというところがどんな場所か説明するのは難しいのだが、
日本でいえば、那覇と京都を足して二で割った感じといったら、
いい加減すぎるだろうか。

とにかく、サンバにはバイーア礼賛ものが多い。
郷土料理とかお祭りとかの固有名詞がたくさんでてきて、非常に困る。
とはいえ、言っていることは割と単純であったりする。

ドリヴァル・カイミ「君はもうバイーアへ行った?」

この曲を聴くと、ディズニー映画『三人の騎士』を思い出す。
ドナルド・ダックにブラジルの素晴らしさを紹介するジョゼ・カリオカにこのまんまな台詞があるのである。
私もまた、こういうバイーア・ソングの数々に誘われてかの地を訪れた観光客の一人だが、
結局のところ、その素晴らしさは結局よく分からなかった。
もちろん、すごく、いいところなんだけど。

ジプシーとアンパンマン

「だあしゑんか」という店ではブラジル音楽がよくかかる、というのは予測された事態であろう。
ハンバーガー屋でインド音楽がかかっていたら面食らうかもしれないが、
居酒屋でボサノヴァがかかっていても、もはや誰も驚かないのである。

古いサンバやカリブの音楽などが半分くらいを占める一方、東欧の音楽も少しかかる。
チェコ音楽はわずかで、ハンガリーやバルカン半島のものが多い。
このあたりの音楽を聴いていると、トルコやアラブまで地続きであることを感じる。
ヨーロッパとアジアは完全につながっているのである。

アンガス・フレーザー『ジプシー 民族の歴史と文化』。
ジプシーやロマ、ロムなどと呼ばれる多様な人々の歴史を概観するにはもってこいの本だと思う。
個人的には、「ジプシーには共通の音楽言語は存在しない」「創造者としてよりも継承者あるいは編曲者として、まわりの社会に特徴的な音楽をとりあげた」といった音楽関係の記述にとりわけ興味をもった。
また、婚姻習慣や移動生活といったことよりも「タブー」「穢れ」の概念がジプシー文化のなかでもっとも普遍的に見られる特徴であるとの指摘。
これがなかったら、たぶん彼らはあれほど過酷な歴史のなかで独自性を保つことはなかったんじゃないだろうか。
適切とは言えないかもしれないが、たとえば、ブラジルの日系人や在日の人々なんかと比較してみると面白いかもしれない。
文化を生き長らえさせる原動力は、どうやら愛国心とか民族的誇り、教育とは限らないようだ。



もう一冊、全然関係はないが、
やなせたかし『アンパンマンの遺書』。
私はアンパンマンにはまったく馴染みがない。
しかし、なんということはなしに読み始めたら、これが実に面白かった。
名文というか、とても味わいのある自叙伝。
お勧めです。

2008年10月12日

一区切り

終わりというのは唐突にやってくるもので、しかも、それは実にあっけなかったりする。
一週間ほど前、「ボサノヴァ日本語化計画」のサイトから音源を削除することにした。
大変、辛いことだ。
まあでも、仕方がない。
私自身にとっての音楽や歌が終わったわけじゃないし。
しばらく、おとなしく地下に潜って「あな☆ホリデー」でも歌おう。

2008年10月3日

ナショナリストのサンバ

Canta Brasilという曲を録音してみた。

As selvas te deram nas noites seus ritmos barbaros
Os negros trouxeram de longe reservas de pranto
Os brancos falaram de amores em suas cancoes
E dessa mistura de vozes nasceu o teu canto

というのが最初の部分。面白いので、直訳ぎみに訳すことにした。

深い夜の森に響くリズム
黒い肌が歌う悲しみ、涙
白い肌、ささやく恋の歌
まざりあうたくさんの声

サンバの歌詞には、こういうものがけっこう多い。
ブラジル万歳調。しかも観念的、抽象的なやつ。
いくつかは、ボサノヴァのレパートリーとしてもよく歌われる。「ブラジルの水彩画」なんかも、その一例だろう。
ここで歌われている人種の混合は、ほとんどブラジル国家の「公式見解」であり、
たとえていうなら「平和国家、日本」みたいなお題目、理想である。
実際のところ、ブラジルにも人種差別は当然あるわけだが、サンバという夢の世界では、それは消えてしまっているのだ。
私のような日本人がこういう歌に惹かれるというのも、ヘンテコな話ではある。
(たぶん日系人は、この「黒い肌」「白い肌」が生んだサンバの世界に、簡単に入れてもらえないだろう。)
とはいえ、そういう胡散臭さをはらみながらも、こうした愛国サンバの魅力は否定しがたい。
ブラジルは、サンバという大衆音楽の一ジャンル(にすぎない、しかも被支配層の)を、いわば国家のアイデンティティ、象徴として採用した稀有な国だと思う。
このほとんどアクロバティックともいえる出来事は、たとえばジャズやロックをいつのまにか横取り(?)してしまったアメリカの白人と比べると、より際立って見えると思う。
ブラジルの支配層がなんでこんなことをやったのか、私には正直いってよく分からないのだが、このことがブラジル音楽の特別な面白さにつながっていることは、ほぼ間違いないだろう。