2012年6月20日

ブログ移転いたします

誠に勝手ながら、このブログを移転します。引越先のURLは、以下です。

http://hiyokomame.com/ottnet/blog

最近、なんとなくgoogleやfacebookへの依存をなるべく減らそうと思っていますが気づいたら、なんとブログまでgoogleだった……。
それとはあまり関係ないですが、長らくお世話になったso-netのホームページも閉鎖することにしたので、いろんなものをひとつにまとめてしまった次第です。
「調子外れな日々」というタイトルはわりと気に入っていました。
今後も、どうか調子外れによろしくお願いいたします。

2012年6月4日

アストロ小唄

ひさびさに新訳です。
宇宙飛行士(アストロナウタ)というタイトルだが、「質問のサンバ」という可愛らしいサブタイトル(?)もついている。
曲調はちょっと暗いが、もしかしたら、こういうのが「いかにもボサノヴァらしい」感じなのかもしれない。
そして、詩としては嫌いじゃないが、歌としてはもう少しシンプルでもいいんじゃないかと思った。

 http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/astronauta.mp3

アストロ小唄(宇宙飛行士) Astronauta

あなたは 私にとってもう ただのコンセプト(概念にすぎず)
遠い星空 宇宙飛行士 小鳥のはばたき
糸の切れた凧 風に飛ばされる
風船みたい 宇宙に浮かんだ 小惑星にいるのかな?
夜空に光った あなたはどこかへ 消えちゃった

2012年3月28日

アフガニスタンのための祈り(マイブームその後2)

ネットラジオにはじまり、その後CDを買ったり映画をみたりして、少しずつ深みにハマりそうにも見えた私のアフガニスタン音楽ブーム。
その後、「日本で唯一の(たぶん)アフガン音楽を専門に演奏するユニット」という「ちゃるぱーさ」のライブも見に行った。
はじめて生で聴くアフガン・ルバーブと、トンバクという打楽器の組み合わせが素晴らしい。
とはいえ、やっぱり私が聴きたいのは歌なんだなあと思った。あと、チープだが妙な魅力のあるダンス音楽(笑)。

その後、聴いていたネットラジオ局が突然、接続不能になるという詳細不明の事態に見舞われた。
ラジオ局は他にもいくつもあるのだが、どうもしっくりくるのが見つからない。もちろん、NATO軍向けの英語放送なんて論外だし。
アフガン大丈夫かなあ、などと思っていると、聞こえてくるのはくそったれアメリカ兵が民家を襲って女性や子どもを殺しまくったとかいう、とんでもない悲惨なニュースばかり。
インターネットラジオどころではない。
そんな具合であって、私のマイブームはいったん終わってしまった。
ネットラジオも、最近はブルガリアの「チャルガ」を聴いてみたり、あれこれ浮気している。でも、何か満たされない思いはある。
とにかく、アフガニスタンのために祈ります。

2012年3月26日

ラクダが踊る

らくだが好きで「らくだ節」なんていう曲をつくったりしたが、どうやら、らくだは本当に音楽が好きらしい(?)。

モンゴルの映画「らくだの涙」はラクダの授乳を促すために楽士を呼ぶストーリーである。
内モンゴルの映画「長調(Urtin Duu)」にも、ほとんど同じようなシーンがあった。
以上は、フタコブラクダの話。

以下は、アラブのヒトコブラクダについて書かれた堀内勝著『ラクダの文化誌』という本からの抜粋。

その小ざかしこく、さとい耳は主人の声を聴きつけ、その調子に合わせて歩を歩む音楽を理解する耳であった。したがって茫漠とした砂漠を旅する者には、その大海を航海する舟をどのように操ったり、スピードを調整したりするかを知っている必要があった。その操縦術は偏に彼等の声にかかっているのだった。それ故大規模な隊商qaflahには、必らずラクダ群を指揮し、一隊の先頭に立って、その美声で並居る音楽の理解者達を魅了しながら導いていく者、hadin(先導者)がいた。批評の耳をもったラクダの聴衆を相手にするからには、hadinは美声の持ち主であらねばならなかった。hadinの美声がラクダ達をどれ程狂喜させるかは、アラビア、ペルシャの古典の著作物の中に夥多の例を見いだすことができる。

この章だけ、妙にテンションが高いのも面白い。私も、大部のため途中で読むのを辞めようかと思ったところであったが、この「ラクダが踊る」という章だけ妙に盛り上がってしまった。

その一生を砂漠のなかで全うするが故に、静寂に慣れ、聞くものといえば己の砂を踏む音しかないラクダの耳は、それだけに他の音に敏感であった。特に歌声のように旋律をもった音に対しては反応が著しかった。しかもその歌が美しいならば、さらにその反応が増した。彼の歩みは歌の律に自ずと歩調が合っていた。そしてあまりの上手さ、あるいは甲高い声の持つ情緒性はラクダの反応を前述の例に見た如く、恍惚とさせ、有頂点(ママ)に導いてはその果てに動物的本能である性への執着心をも忘れさせる程であった。

砂漠の静寂とらくだの音楽好きが結びついているところも、なんだか面白い。
このような人間とラクダの交流からアラブのキャラバンソングが生まれ、アラブの歌謡や詩はここに深い伝統をもつという話が、さらに展開されていくわけだ。

静けさのなかにラクダの砂を踏む音だけが例えばタタンタタン、タタンタタンと一定の律で響いていたとする。その一定の律は、やがてラクダの上に乗る人間にとっても無意識のうちに一定の拍子となるであろう。ましてや、ラクダに乗れば気づくことであろうが、その歩調に合ったコブの揺れが乗り手をリズミカルに大きく前後に揺すり続けるから、人獣のリズムが両者の体内で一体化してしまう。単調な自然と、昼間ならば太陽の直射と夜ならば暗黒からの恐怖感とを主な原因として、遣る方なき理性はやがて慰め手となるものを本能的に求める。慰めの対象は最早、熱さ或いは恐怖と疲労から深い思索を求めはしない。すでに体の一部と化している一定の拍子に従って。情緒に訴えるものを発散し、理性の浄化を計るわけである。そこで彼等はその拍子に乗って歌い出すのである、恰もストレス解消に肉体的運動が不可欠の生理的現象であるかの如くに。

つい引用が長くなってしまったが、まさに理性を浄化してくれる名文である(笑)。


2012年3月7日

クスクスの謎

「ブラジル・パンデイロ」という名曲があり、仲良く3つの料理名が並んでいる。クスクス、アカラジェ、アバラー。歌詞の内容からいって、どれもバイーア名物らしい。
アカラジェはブラジルで食べたことがあるので、なんとなく分かる。アバラーはその蒸し物バージョンだろうか。
しかし、ここにクスクスが出てくるのは、ちょっと不思議な感じがする。
ひとつは、へえブラジルにもクスクスがあったのかという素朴な驚きだが、もうひとつは、他の2つの料理(スナック? 軽食?)とだいぶ毛色が違うイメージのため。

ブラジル・パンデイロ♪
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/pandeiro.mp3

まるでバイーア娘がつくったソースをかけた
このクスクスに誰もがとろける
だからバイーア男は踊るよよーややー


例によって私の訳はテキトーであった。クスクスは大好物だし、それ以外は日本語にしても馴染みがないので割愛し、クスクスだけ残したわけだ。
しかし、本当にソースというか、スープをかけたようなクスクスなのか、やや怪しかったわけである。

そこへ、素晴らしい本が出版された。にむらじゅんこ『クスクスの謎』(平凡社新書)
期待に違わず、クスクス好き必読の素晴らしい内容である。
そもそも、クスクスって何なのか、どうやって作るのかというところから、歴史やヴァリエーション、その思想(!)まで、大変興味深い。
この本によると、クスクスをブラジルへ運んだのはレコンキスタ後のイベリア半島を追われたユダヤ人(セファルディム)であるという。
北アフリカのものがブラジルにあるのは決して不思議ではないとぼんやり考えていたが、どうも微妙に事情が違うようだ。
クスクスはたぶん強烈に「異教徒っぽい」食べ物だったのだろう。異端審問の厳しかったスペインではクスクスがほぼ消えたのに対し、比較的寛容だったブラジルには残ったという感じ。

さて、この本にはブラジルのクスクスとして3種類が採り上げられている。
・クスクス・パウリスタ(サンパウロ)
・ブラジル北部のクスクス
・ココナツミルクの海鮮クスクス
このうち、2つめ(「北東部」とすべきだろう)のが「マフィンのようなケーキ風」とあり、たぶん歌詞にあったのはこれではないかと推測される。
でも、3つ目のようなわりとイメージ通りのクスクスも存在するようだから、訳を変えることもないかもしれない(無責任)。

書いているうちに、クスクスがまた食べたくなってきた。
もちろん私の思い浮かべているクスクスはバイーア女とは関係のない、モロッコやチュニジアなどマグレブ風のものである。もちろん、豆との相性もひじょうによい。


2012年3月5日

ムリウイのこと

祖師ヶ谷大蔵にムリウイというお店があるのだが、こんど10周年を迎えたそうだ。
ホームページにオープン前の写真があって、気軽に訪れていた人間としては、かなり衝撃的(たとえば、これ)。そうかあ、本当に素晴らしい店なのだなあ、となぜか改めて感心させられた次第。
ここは、ライブやイベントへ足を運ぶのがやや苦手な私でも、ちょっと行ってみようかと思ってしまう不思議な魅力をもっているお店だ。がらんとした、でもぬくもりのある空間。食べ物や飲み物もおいしいし、私がカフェ好きで近所に住んでいたら、たぶん足繁く通うだろう(残念ながら、私の家は遠く、しかも私はカフェでまったりするという素敵な習慣に、あまり馴染んでいない)。
このあいだ、立川のあちゃというやはり素敵な喫茶店で、飲食店という空間の大切さについて話していた。私はどこの店が好きかなあと考えて、すぐに思い浮かんだのがムリウイだったのは言うまでもない。
そんなわけで、ぜひ一度訪れてください。
(これは下記ライブの宣伝でもあるのだが、他にも毎夜のように素晴らしいライブもやっているので、ほかの機会でも!)

★日本語ボサノバの夜@祖師谷大蔵ムリウイ
日時: 2012/3/22(木) 19:00~
出演: heli (Vo, G) 東輝美 (Vo, G) OTT (Vo, G)
No Music Charge (投げ銭+オーダー)
場所: ムリウイ (世田谷区祖師谷4-1-22-3F)

◆日本語によるボサノヴァ弾き語り3人が集うという、素敵なイベントです。昨年も何度かご一緒させていただいたheliさんはもちろん、素晴らしい弾き語りと誰もが絶賛する東輝美さんの演奏も楽しみです。そしてムリウイというお店は、何度訪れても本当にすごいなあと思います。がらんとした空間だからこそ、豊かなものがたくさん生まれる、そんなタオ的なお店。名物のハンバーガーとスリランカのライオン・スタウトでゆっくりおくつろぎくださいませ!!

2012年2月28日

百合の花

個人的には人生何度かめの園芸ブームなのだが、私は植物を育てるのが恐ろしく苦手なので、あまりいい予感はしない。なので、植物の購入はなるべく控えめにしている。

「百合の花」という曲は、ものすごく前から何度も手をつけては挫折、やってみては諦めを繰り返してきたもの。
こういう曲がさくっとつくれてさくっと歌える(ように見える)ジャヴァンみたいな人がうらやましい。

http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/lis.mp3

百合の花
神さま(願わくば) 許し給え 恋が終わる 間違えたのなら 教えてください 
どこで何を なぜこんなに 君を愛しすぎた 求めすぎた

おそらく あの時から 心のなか 見たこともない美しい何かが
生まれていた 白い百合の花のような
大切なものが今はない 今は 乾いた土くればかりだ
いつもたくさんの 花が咲いてた
庭の日だまりは どこへ消えたの?

2012年2月10日

あまり演奏しない曲たち

やらないのには理由があって、どこか弾きにくかったり、歌詞が気に入ってなかったり、まあいろいろ。
とりあえずは訳したものの、レパートリーから消えてしまう曲も、なかにはある。
それはもったいないので、しばらくすると再びいじってみて、救えるものはないかと探すわけだ。

今回は「リジア」の歌詞を思い切って変えてみた。
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/ligia.mp3

夢はみない 映画みない サンバ嫌い
イパネマの海も 雨も太陽も 好きではない
君に電話してすぐ 君の名前さえ 知らぬことに気づく そして受話器を置く

愛はいつも心痛め 幻と消える
コパカバーナの冷えたビールの泡のよう
君を愛してしまった その瞳がもう 太陽の光より僕を脅かす


例によってかなり内容を変えている(分量的にも減らしている)のでオリジナルからはちょっと遠いかもしれない。個人的には、電話をかけておいて自分で切っちゃう感じが気に入ってる。
これから、もう少し頻繁に演奏することになるかもしれない。

Foi a noiteも、ひさびさにやってみた。
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/foianoite.mp3
これも歌詞が違うんじゃないの? という気は大いにするのだが、結局うまく直せず。

2012年2月6日

アフガン・スター(マイブームその後)

インターネットラジオをきっかけにはじまったアフガニスタン音楽のマイブーム。
「アフガン・スター」というドキュメンタリー映画があることを知り、さっそくDVDで見ることにした。

「アフガン・スター」はアフガニスタンの超人気オーディション番組らしい。
You Tubeでも「Afghan Star」で検索すると、その様子が見られる。この番組で上位に入った歌手がデビューしていくという状況のようだ。
音楽的なクオリティはそれほど高くない。でも、ラジオから伝わってきた切実さ、熱気がここには確かにある。
多民族国家であるアフガニスタンでは、音楽よりも出身民族で投票する人がたくさんいる。だが、それだけとも言い切れないところがあって、その辺が面白い。
人々の音楽への深い愛は、民族間の対立を浮き彫りにしつつ、ある意味ではアフガニスタンの国家的な統合にも利用されているようだ。

「ラフガイド・トゥ……」シリーズを買ったのは、はじめて。
なんせさっぱり事情がわからないので、解説などは大変役に立った。映画「アフガン・スター」にも登場して物議をかもした歌手も収録されている。
しかし、たとえば「ラフ・ガイド・トゥ・ザ・ミュージック・オブ・ジャパン」というのを聞いて日本の音楽事情が分からないのと同様であり、引き続きいろいろ聞いてみるつもりだ。

比較的、手に入りやすいのは古典音楽のようで、このあたりはあまりハズレがないかもしれない。
Ustad Mohammad Omar(アフガン・ルバーブの巨匠らしい)は、なんとあのザキール・フセインとの共演盤。
とはいえ、ラジオや「アフガン・スター」の熱気とはちょっと違う気もする。

2012年1月21日

500年の歴史にボサノヴァなし--「火の記憶」完結

神話時代のはるかなる時間とコロンブスの「発見」から1984年までの約500年。
約500ページ×全3冊。最初の1冊が出たのは2000年末だから、翻訳刊行だけでも軽く10年以上かかっているわけだ(原著は1982~)。
まずは、完結を言祝ぎたい。素晴らしい仕事です。

すこし詩的な言葉で書かれた歴史の断片集という感じだろうか。
それぞれの断片は出典というか参考書籍が挙げられており、その書名を眺めるのも楽しい。
ついでに、この10年間で読書をしながらインターネットで調べるという悪癖が可能になってしまったので、分からないところをあれこれググってみたり。

とはいえラテンアメリカの通史として勉強になるかといえば怪しい。
20世紀の巻は、音楽家だけでもヴィラ・ロボスやアタウアルパ・ユパンキ、アグスティン・ララ、ボラ・デ・ニエベ、カルロス・ガルデル、カルトーラ、アリ・バホーゾ、カルメン・ミランダ、シコ・ブアルキなんかが華々しく登場するが、ボサノヴァの誕生は触れられていない。
文学にしても、ガルシア=マルケスやフアン・ルルフォ、パブロ・ネルーダ、ジョルジ・アマード、ギマランイス・ローザなどなど、これも挙げだしていったらキリがないもの、バルガス・リョサやオクタビオ・パスには触れられない。まあ、なんとなく著者の好みも基準も分かるような気もするし、特に異論があるというわけでもない。
ただ、どちらかというと、こんな風に「誰をどう書いているか」が気になる20世紀よりも、知らないことだらけだった最初の2巻のほうが面白かった気もする。

日本の歴史をこんな風に書くことができるかどうか、考えたりもしてみる。もちろん難しいけれど、無理だとは思いたくない。そんな風に感じさせてくれる書物でもある。
そして、かの土地にまた行ってみたいとも。メキシコ、ブラジル。まだ行ったことのないあれこれの国々にも。




2012年1月19日

アフガニスタンのラジオ

昨年の末、オーディオ機器を衝動買いした。ネットワークオーディオプレイヤーというらしい。
リビングのいつものオーディオセットとパソコンのネットワークをつなぐイメージなのだが、こんなものが本当に必要なのかは怪しいし、ハードとしてはともかく、ソフトの使い勝手が悪く、思っていたほど便利ではない。

とはいえ、これを買ったことにより、今までになかった習慣がひとつ生まれた。夜、読書しながらアフガニスタンのインターネット・ラジオを聞くのだ。
とはいえインターネット・ラジオにこの機械がどうしても必要という訳でもないので、成り行きというか、偶然これがしっくりきたというだけの話。
アフガニスタンの局が気に入ったのも、ごくごくいい加減な理由で、たぶんアジアのアフガニスタンで両方Aではじまるから、上のほうにあったに違いない……。

しかし、私はかなりショックを受けている。
聞くたびに驚くし、楽しいし、笑えるし、びっくりするし、感動する。
ラップやソウル、ロックやラテンなども貪欲に吸収しつつ、根っこにあるのはインドやペルシャ・アラブ系の音楽らしい。でも、たぶん音楽のスタイルとか、そういう問題じゃないのだ。
それよりも、音楽への切実な欲求みたいなものをひしひしと感じる。

小さな想像力をふりしぼって、こういう音楽を生んだかの地の厳しい状況を考えると、恐ろしい。
ちょっとネットを調べただけでも、たとえば田中宇氏によるこんなレポートがある。
http://tanakanews.com/a0601afghan3.htm

検問所の脇には、土に刺した棒の先に長いテープが巻き付けられ、はためいていたりする。タリバンの兵士が「見せしめ」のため、没収したカセットからテープを全部引き出し、もつれた毛糸の玉のようにして、棒の先につけて立てたのだろう。砂漠の快晴の空の下、日光を反射してテープがきらきらとはためく光景は、幻想的だ。アフガニスタンでは、お墓の上に金銀のモールをつけておく習慣があり、この「音楽の墓場」は、それとも似ている。

ネットラジオなのでミュージシャンの名前はわかるが、歌の詳細などその他はさっぱり分からない。
このレポートなどを参考に想像してみると、かなり馬鹿馬鹿しい歌が多いのではないかと思う。
でも、ときどき読書を忘れてしまうほどに夢中になって聞いてしまうことがある。

ちなみに私が毎度きいているのは、BakhtarRadio.comというラジオ局。いろいろ聞き比べた訳ではないので、他にももっといいのがあるかもしれない。
ただ、そういうちょっとした違いは、たぶんあまり重要じゃないという感じもする。

2012年1月10日

あたらしい年

今年もよろしくお願いいたします。


*写真は、最近は毎年「帰省」している妻の実家付近で撮ったもの。

今年はどういう年になるだろうか。自分に関するかぎり、それほどいい予感はない。
せめて、これを読まれている皆様にとってはよい年でありますように。
私にとっては少しじっくり考え、かつ心を入れ替える年なのかもしれない。
いや、以下のことをふまえれば、考えるよりも悔い改めよな感じかも……。

以下は、ひさしぶりに読書感想文でもある。
年末に読んだ最後の本は、バルガス=リョサ『密林の語り部』。
そして、年始に読んだ最初の本はオレン・ハーマン『親切な進化生物学者―― ジョージ・プライスと利他行動の対価 』。
個人的には、バルガス=リョサは放っておくとどうしてもきまじめすぎる印象があり(少しハメをはずした作品のほうが好き)、圧倒的に後者のほうが面白かった。

それにしても、片方は滅びの危機に直面した民族と語りの力について、 もうひとつは動物や人間の善良さ、利他行動がいかに進化したかについて。つながりのなさそうな2冊だったが、『親切な進化生物学者』の「謝辞」に『密林の語り部』のことが書いてあり、びっくりした。
確かに、2種類の語りが交互に絡み合いながら進んでいくスタイルは似ているし、インスピレーションを受けたといわれれば、なんとなく分かる。
ご丁寧にも、こういう偶然には神秘的なメッセージのようなものを感じがちである、というような内容が『親切な進化生物学者』の「訳者あとがき」に書かれていて、しかもこの訳者、実は尊敬する大先輩であったりもするから、戸惑わされる。

昨年の終わりくらいだろうか、私は他人に言えない恥ずかしい体験をした。
ぼんやり自転車に乗っていたとき、視界の隅っこで老人が倒れたのだが、私の心はしばらく動かず、そのまま通り過ぎようとしてしまったのだ。
はっとして戻ろうとしたが、もう別の誰かが駆け寄り、助け起こしていた。
私はものすごく恥ずかしい気持ちになり、それから誰にもその話をしていない。
今も、一体この続きをどう書いていいのか、よく分からない。