2007年8月14日

荘子

加島祥造氏については、ずいぶん前にこんな文章を書いた。
もう最後にお会いしてずいぶん時間が経つ。伊那谷のお宅に伺ってお前はインタビューの仕方がダメだと言われ、その後気持ちよさそうに庭で小便をしておられたのを思い出すと涙が出そうになる。
いい加減な仕事ばかりしてきた私にとって、加島さんは直接に影響を受けた数少ない作家、心から師と呼びたい数少ない人物だ。まあ、ご本人はこんな私に師匠などといわれれても嫌がられるだけであろうが。

老子の名訳に続く『荘子 ヒア・ナウ』がついに出たので読んでみた。
意外というか、どこかで聞いたことのあるような話が多かったが(荘子を読み通したことはないのに)、期待通り加島節が炸裂してて面白かった。
そしてご本人の「解説」もすごくいい。
ユーモアと思想の関係を明快に語っている。
素晴らしい仕事だ。

ポルトガル語

ときどき、ポルトガル語がスラスラだと誤解されることがあるのだが、実は半年しか習ったことがない。それも、ブラジル人ではなくポルトガル人から。週一回、きわめて怪しいポルトガル語歴である。
スペイン語を少し習っていたので、またブラジル音楽が好きだったので、その先生は私が発音をすると露骨に嫌そうな顔をした。スペイン語風、かつブラジル訛りというのが、許せなかったようだ。対照的に、フランス語風に発音する女の子などには、極めて嬉しそうな顔をしていたように思う。

ポルトガル語の歴史はそれほど古くないが、大航海時代にいきなり「国際語」になって、そして速やかに衰退した。
『海の見える言葉 ポルトガル語の世界』は、ポルトガルから西アフリカ、大西洋、ブラジル。また東アフリカからゴア、東ティモール、マカオなど、世界中に辛うじて残った「ポルトガル語圏」と言葉について語る。
クレオールをはじめ、現地での経験をまじえた具体的な著述はとても面白いが、少し舌足らずな印象もある。
日本もまた、わずかな語彙を残すのみだが、かつてポルトガル語圏と接した歴史がある。
また、今、ブラジルからの移民によって、有数の「ポルトガル語話者の多い国」になった。
感慨深いといえば、感慨深い。
私は「ボタン」「ジュバン」「金平糖」など、日本語のなかに残るポルトガル語起源の言葉だけを使って歌でもつくれないかと一瞬考えたが、今のところうまくいってない。

2007年8月6日

ライブ@美容院

小山の美容院でライブをさせていただいた。
最初は宇都宮でやる予定だったものだった祝美容院開店イベントだが、結局お店でやることになったというお話。
でも、これがとてもいいスペースで、ライブハウスよりいいんじゃない? というくらい。
お客さんの雰囲気もアットホームでよかった。
かっこいいGypsy Vagabonzさんと私のだらけた音楽の組み合わせも悪くないんじゃないか、と思った。
呼んでいただいたみなさま、遊びに来ていただいたみなさま、ありがとう!

ところでライブ開始前に近くを歩いたのだが、けっこうブラジル人が多いようだった。
道沿いに、お祭りの提灯みたいのをぶら下げた変な家があって、
そこではビニール製のプールに入った子どもとそれを見守る親が実にまったりとした時間を過ごしていた。
そして、帰りに車から覗いたら、夜はそこでお酒を飲んでいるのだった。うーん、素晴らしい家だ……(すごくぼろいんだけど)。
ああいうところに住んで、ギターでも弾きながら暮らしたい。

2007年8月3日

ディス・イズ・ボサノヴァ


「ディス・イズ・ボサノヴァ」という映画が公開されるらしい。
「名曲に乗せて明かされるボサノヴァ誕生秘話」だそうで、これに合わせてホベルト・メネスカルやカルロス・リラも来日しているらしい。
塩・太陽・南、そして愛・微笑み・花、それがボサノヴァと言われれば、私も黙るしかない(笑)。
ついでにというか、私も映画館併設のカフェで少し演奏させてもらうことになった。別に主催者から声がかかったわけではなく、募集中と書いてあったから応募したら、特に審査もなくOKになったのである。ありがたいというか、やや心配である。
私のはたぶんどちらかというと「イズ・ディス・ボサノヴァ?」になりそうで恐い。
日時: 2007年8月19日(日曜) start 16:00
場所: Prologue (渋谷区円山町1-5 Q-AXビル1F 地図
チャージなどはないようです。映画を見るなら、ぜひこの日にどうぞ。

グレイソン・ペリー


出張先の金沢で素晴らしい展覧会を見た。

我が文明:グレイソン・ペリー展

ヘンリー・ダーガーの強い影響を受けているらしいが、アウトサイダー・アートの文脈とはちょっと違う気もした。

とにかく、作品がモノとして美しく、可愛く、かつ笑えて、同時に先鋭的でしかも思慮深い感じがする。
美術展に行ってこれほど嬉しかったのは久しぶりだ。

あと同じ美術館のもうひとつの展覧会では、ソフィ・カルの「ヴェネツィア組曲」などがあった。
こちらは21世紀美術館のこだわりなのか、キャプションというか説明が英語だったので、見てもちゃんと読んで理解する人は少ないんじゃないかと思う。少し残念な気もする。
(この作品は『本当の話』として翻訳もされているので美術館で見るより本で読んだほうがいいのかもしれない)


私自身はこのとき、ちょうどポール・オースターの『Travels in the Scriptorium』を読みはじめたところだったので、オースター風のちょっとした偶然を感じた。