2008年4月29日

ライブ@だあしゑんか

チェコ料理とビール、絵本のお店でボサノヴァ日本語化計画のライブ。
我ながら、わかりにくい。
しかしお陰様で、大入り満員だった。
みなさま、ありがとう。
座れなかった方、また体調の悪くなっちゃった方、ごめんなさい。

このお店のいいところは、なんといっても狭い店内とは不釣り合いにデカい窓である。
まだ明るいうちのライブだったので、ブラインドも全開にして演奏した。
外を歩いている人と結構目があったりするのが面白い。
ひさびさだったので、とにかくたくさんの曲をやってみた。
30曲くらい? もっとかもしれない。

ライブ後はRamuchi 2000GTさんの素晴らしいスキャット、
ケニーさんとミサキさんのユニットによる素敵な演奏もあり、
私は少しずつ、演奏者から店員へと変身していったのであった。


↑イザウラでひっかかる。


↑アンコールの「小舟」

2008年4月19日

チェコのはなし

チェコ料理を出すバーをはじめた、などというと「ブラジルじゃないの?」と聞かれたりする。
「なんでチェコなんだ」と怒ったような顔で言う人も。
(私がブラジル音楽バーでも開けば、話は分かりやすいのだろう。
だが、それはあまり想像したくない事態ではある……。)
というわけで、私は大抵「相棒である共同経営者がチェコ好きなので」、と答えることにしている(実際、それは正しい)。
とはいえ、私もそれなりにチェコという国への思い入れがあるので、こっそりここに書いてみよう。

といっても、話は実に単純だ。
私はかつて文学青年だった(今でもちょっと文学おじさんだ)。
そして、フランツ・カフカが私のアイドルだった。
以上、終わり。

そんなわけで、私は大学生時代にカフカのいた街、プラハへと旅立った。
まだ、かの国に入るのにビザが必用だった頃の話である。
今回、店を開いてから、
ふとガイドブックとしてそのとき持っていった本が手元にないことに気づいた。
私はよく、大切な本を捨ててしまったり売ってしまったりするのだ。
(店に置くのによい本だろうと思ったので、ヤフオクで買いなおした。)



当時の私はこの本を片手にカフカの墓参りなんぞしながらプラハの街を歩いていたわけだが、
人間とはいい加減なもので、覚えているのはビールがうまかったこととか、
トイレを探してうろうろしたことくらいであったりする。
ついでに、プラハで泊まった家のお婆さんと一緒にオペラをみにいったことも、よく覚えている。
(中途半端なチェコ語とドイツ語で、ろくに意志疎通のできないまま、そのときは婆さんもお洒落をして、なんかデートのような状態だったのである。)

ほかに、
小岸昭「スペインを追われたユダヤ人―マラーノの足跡を訪ねて」「マラーノの系譜」も、
ガイドブックがわりになっていた。
これらの本を通じて、私のなかではチェコもイベリア半島も新大陸も、どこかでつながっているように思えたのだろう。
んでもって、当時から鼻歌はいつもボサノヴァだった。

チェコは出版文化も素晴らしいし、「もぐらくん」をはじめとしたキャラクターも大好きだ。
なんといっても、ビールがうまい(繰り返し、失礼)。
とはいえ、チェコ料理のレストランをやるほどかといえば、これは確かに怪しい。
そんなわけで、「なぜチェコなの?」と問われれば、私はやはり口ごもってしまう。
チェコがどうとかいうより、私は単にお店をつくりたかったのだと思う。
出来てみると、自分でも「なぜチェコなんだろ?」とぼんやり考えていることに気づいたりする。

2008年4月8日

アート

昨日、ふと時間があいた。
ひさびさにCDを買おうと思ったら、財布の紐が完全に切れ、
ものすごい勢いで買ってしまった……。危険である。

あと、アートフェア東京なるイベントに行ってきた。
まったく行くつもりがなかったのだが、時間もあるし、たまにはそういうものを見るのもいいかなと思ったのだ。
現代アートのなんたるかが相変わらずさっぱり分からない私だが、
カミン・ラーチャイプラサートというタイのアーティストの作品を見て、ちょっとほっとした。
仏像をアレンジしたような作品。
まあ日本だと円空仏とかあるし、こういうのはなかなか成立しにくいかもしれない。
でも、これならちょっと家に飾ってもいいかなと思った(高くて買えないが)。
これを見ながらギターを弾いたら、ちょっと楽しいだろう。


作品は、どれも仏教的な警句みたいなのがタイトルになっている。
「我が子は真の喜び。だが人生のあるじではなかろう」
「愛情の細部に注意を払え」
「地球は回れど心は動かず。日の出も日没もない」
「幸せは移ろいやすい」
「鳥に羽があるように、人には友がいる」
などなど。
上のやつは、「アートを作ることばかり考えるのはアートではない」。
確かにそうだろうと思う。
アートフェアは、そんな感じの場所であった。