2012年3月28日

アフガニスタンのための祈り(マイブームその後2)

ネットラジオにはじまり、その後CDを買ったり映画をみたりして、少しずつ深みにハマりそうにも見えた私のアフガニスタン音楽ブーム。
その後、「日本で唯一の(たぶん)アフガン音楽を専門に演奏するユニット」という「ちゃるぱーさ」のライブも見に行った。
はじめて生で聴くアフガン・ルバーブと、トンバクという打楽器の組み合わせが素晴らしい。
とはいえ、やっぱり私が聴きたいのは歌なんだなあと思った。あと、チープだが妙な魅力のあるダンス音楽(笑)。

その後、聴いていたネットラジオ局が突然、接続不能になるという詳細不明の事態に見舞われた。
ラジオ局は他にもいくつもあるのだが、どうもしっくりくるのが見つからない。もちろん、NATO軍向けの英語放送なんて論外だし。
アフガン大丈夫かなあ、などと思っていると、聞こえてくるのはくそったれアメリカ兵が民家を襲って女性や子どもを殺しまくったとかいう、とんでもない悲惨なニュースばかり。
インターネットラジオどころではない。
そんな具合であって、私のマイブームはいったん終わってしまった。
ネットラジオも、最近はブルガリアの「チャルガ」を聴いてみたり、あれこれ浮気している。でも、何か満たされない思いはある。
とにかく、アフガニスタンのために祈ります。

2012年3月26日

ラクダが踊る

らくだが好きで「らくだ節」なんていう曲をつくったりしたが、どうやら、らくだは本当に音楽が好きらしい(?)。

モンゴルの映画「らくだの涙」はラクダの授乳を促すために楽士を呼ぶストーリーである。
内モンゴルの映画「長調(Urtin Duu)」にも、ほとんど同じようなシーンがあった。
以上は、フタコブラクダの話。

以下は、アラブのヒトコブラクダについて書かれた堀内勝著『ラクダの文化誌』という本からの抜粋。

その小ざかしこく、さとい耳は主人の声を聴きつけ、その調子に合わせて歩を歩む音楽を理解する耳であった。したがって茫漠とした砂漠を旅する者には、その大海を航海する舟をどのように操ったり、スピードを調整したりするかを知っている必要があった。その操縦術は偏に彼等の声にかかっているのだった。それ故大規模な隊商qaflahには、必らずラクダ群を指揮し、一隊の先頭に立って、その美声で並居る音楽の理解者達を魅了しながら導いていく者、hadin(先導者)がいた。批評の耳をもったラクダの聴衆を相手にするからには、hadinは美声の持ち主であらねばならなかった。hadinの美声がラクダ達をどれ程狂喜させるかは、アラビア、ペルシャの古典の著作物の中に夥多の例を見いだすことができる。

この章だけ、妙にテンションが高いのも面白い。私も、大部のため途中で読むのを辞めようかと思ったところであったが、この「ラクダが踊る」という章だけ妙に盛り上がってしまった。

その一生を砂漠のなかで全うするが故に、静寂に慣れ、聞くものといえば己の砂を踏む音しかないラクダの耳は、それだけに他の音に敏感であった。特に歌声のように旋律をもった音に対しては反応が著しかった。しかもその歌が美しいならば、さらにその反応が増した。彼の歩みは歌の律に自ずと歩調が合っていた。そしてあまりの上手さ、あるいは甲高い声の持つ情緒性はラクダの反応を前述の例に見た如く、恍惚とさせ、有頂点(ママ)に導いてはその果てに動物的本能である性への執着心をも忘れさせる程であった。

砂漠の静寂とらくだの音楽好きが結びついているところも、なんだか面白い。
このような人間とラクダの交流からアラブのキャラバンソングが生まれ、アラブの歌謡や詩はここに深い伝統をもつという話が、さらに展開されていくわけだ。

静けさのなかにラクダの砂を踏む音だけが例えばタタンタタン、タタンタタンと一定の律で響いていたとする。その一定の律は、やがてラクダの上に乗る人間にとっても無意識のうちに一定の拍子となるであろう。ましてや、ラクダに乗れば気づくことであろうが、その歩調に合ったコブの揺れが乗り手をリズミカルに大きく前後に揺すり続けるから、人獣のリズムが両者の体内で一体化してしまう。単調な自然と、昼間ならば太陽の直射と夜ならば暗黒からの恐怖感とを主な原因として、遣る方なき理性はやがて慰め手となるものを本能的に求める。慰めの対象は最早、熱さ或いは恐怖と疲労から深い思索を求めはしない。すでに体の一部と化している一定の拍子に従って。情緒に訴えるものを発散し、理性の浄化を計るわけである。そこで彼等はその拍子に乗って歌い出すのである、恰もストレス解消に肉体的運動が不可欠の生理的現象であるかの如くに。

つい引用が長くなってしまったが、まさに理性を浄化してくれる名文である(笑)。


2012年3月7日

クスクスの謎

「ブラジル・パンデイロ」という名曲があり、仲良く3つの料理名が並んでいる。クスクス、アカラジェ、アバラー。歌詞の内容からいって、どれもバイーア名物らしい。
アカラジェはブラジルで食べたことがあるので、なんとなく分かる。アバラーはその蒸し物バージョンだろうか。
しかし、ここにクスクスが出てくるのは、ちょっと不思議な感じがする。
ひとつは、へえブラジルにもクスクスがあったのかという素朴な驚きだが、もうひとつは、他の2つの料理(スナック? 軽食?)とだいぶ毛色が違うイメージのため。

ブラジル・パンデイロ♪
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/pandeiro.mp3

まるでバイーア娘がつくったソースをかけた
このクスクスに誰もがとろける
だからバイーア男は踊るよよーややー


例によって私の訳はテキトーであった。クスクスは大好物だし、それ以外は日本語にしても馴染みがないので割愛し、クスクスだけ残したわけだ。
しかし、本当にソースというか、スープをかけたようなクスクスなのか、やや怪しかったわけである。

そこへ、素晴らしい本が出版された。にむらじゅんこ『クスクスの謎』(平凡社新書)
期待に違わず、クスクス好き必読の素晴らしい内容である。
そもそも、クスクスって何なのか、どうやって作るのかというところから、歴史やヴァリエーション、その思想(!)まで、大変興味深い。
この本によると、クスクスをブラジルへ運んだのはレコンキスタ後のイベリア半島を追われたユダヤ人(セファルディム)であるという。
北アフリカのものがブラジルにあるのは決して不思議ではないとぼんやり考えていたが、どうも微妙に事情が違うようだ。
クスクスはたぶん強烈に「異教徒っぽい」食べ物だったのだろう。異端審問の厳しかったスペインではクスクスがほぼ消えたのに対し、比較的寛容だったブラジルには残ったという感じ。

さて、この本にはブラジルのクスクスとして3種類が採り上げられている。
・クスクス・パウリスタ(サンパウロ)
・ブラジル北部のクスクス
・ココナツミルクの海鮮クスクス
このうち、2つめ(「北東部」とすべきだろう)のが「マフィンのようなケーキ風」とあり、たぶん歌詞にあったのはこれではないかと推測される。
でも、3つ目のようなわりとイメージ通りのクスクスも存在するようだから、訳を変えることもないかもしれない(無責任)。

書いているうちに、クスクスがまた食べたくなってきた。
もちろん私の思い浮かべているクスクスはバイーア女とは関係のない、モロッコやチュニジアなどマグレブ風のものである。もちろん、豆との相性もひじょうによい。


2012年3月5日

ムリウイのこと

祖師ヶ谷大蔵にムリウイというお店があるのだが、こんど10周年を迎えたそうだ。
ホームページにオープン前の写真があって、気軽に訪れていた人間としては、かなり衝撃的(たとえば、これ)。そうかあ、本当に素晴らしい店なのだなあ、となぜか改めて感心させられた次第。
ここは、ライブやイベントへ足を運ぶのがやや苦手な私でも、ちょっと行ってみようかと思ってしまう不思議な魅力をもっているお店だ。がらんとした、でもぬくもりのある空間。食べ物や飲み物もおいしいし、私がカフェ好きで近所に住んでいたら、たぶん足繁く通うだろう(残念ながら、私の家は遠く、しかも私はカフェでまったりするという素敵な習慣に、あまり馴染んでいない)。
このあいだ、立川のあちゃというやはり素敵な喫茶店で、飲食店という空間の大切さについて話していた。私はどこの店が好きかなあと考えて、すぐに思い浮かんだのがムリウイだったのは言うまでもない。
そんなわけで、ぜひ一度訪れてください。
(これは下記ライブの宣伝でもあるのだが、他にも毎夜のように素晴らしいライブもやっているので、ほかの機会でも!)

★日本語ボサノバの夜@祖師谷大蔵ムリウイ
日時: 2012/3/22(木) 19:00~
出演: heli (Vo, G) 東輝美 (Vo, G) OTT (Vo, G)
No Music Charge (投げ銭+オーダー)
場所: ムリウイ (世田谷区祖師谷4-1-22-3F)

◆日本語によるボサノヴァ弾き語り3人が集うという、素敵なイベントです。昨年も何度かご一緒させていただいたheliさんはもちろん、素晴らしい弾き語りと誰もが絶賛する東輝美さんの演奏も楽しみです。そしてムリウイというお店は、何度訪れても本当にすごいなあと思います。がらんとした空間だからこそ、豊かなものがたくさん生まれる、そんなタオ的なお店。名物のハンバーガーとスリランカのライオン・スタウトでゆっくりおくつろぎくださいませ!!