2010年12月20日

伝統、あるいは元本保証

突然変異はランダムに起きるし、生命は否が応にも変わっていく。
そして生命の巧妙さは気の遠くなるような時間によって生まれた奇跡だ……。
そう教えられてきたような気がするが、なんとなく変だなとは思っていた。
「神の手」とまではいかないまでも、自然はもうちょっとだけ「意識的」であり、「方向性」や「傾向」のようなものが少しはあると感じられた。

進化のメカニズムなんてどうでもよいことではあるだろうが、気になるのは、やはりそれが文化や社会のメタファーとしてかなり力をもっているからだろう。
たとえば私はスポーツニュースなどで多用される「進化」という言葉がどうも好きになれないのだが、それにもたぶん理由がある。
私たちは日々喩えや擬人化の世界を生きているわけだ。

「元本保証された多様性の創出」を基本とする「不均衡進化論」は、まだ主流の理論としては認められていないのかもしれないが、非常にシンプルで妙に腑に落ちるところがあった。
生物学的な説明は私には難しいので、あくまでも文化的に譬えると、かなり身も蓋もない話となる。
伝統はちゃんと守りながら、新しい試みはどんどんやっていく、いわばメリハリをつけるという、ごく当たり前の話。
常に変わり続けるばかりが能ではないというのがポイントだろうが、どこかに伝統をしっかり守っておけば、あとは失敗してもいいからどんどんチャレンジしようね、という部分を強調することもできる。あるいは、変化は常に一定の速度で起きるというより、起きるときにまとめて起きるというというところも重要だろう。
それはともかく、私のような無駄の多い変異のほうにばかり心惹かれ、どちらかというとリスクの高い投資を好むタイプでも、誰かがどこかで「元本保証」をしていると思うと、心安らかに好き勝手をしていいよと言われたような安心感があるのだ(笑)。

2010年12月8日

カエターノ特集その2

歌詞がしっくりこないのでレパートリーから外れていた「サンパ」をなんとかしようと悪戦苦闘している。
大好きな曲なので、本当はいつもやりたいのだ。
とりあえずひと段落したが、また変えたくなるかもしれない。
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/sampa.mp3

あと、もうひとつは「オダラ」。
これは初録音かどうか、よく覚えてない。
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/odara.mp3

サンパ
何かが心のなかではじける
交差点の真ん中 立ち止まる
あの頃 途方に暮れていた
街角から コンクリートの詩が響く
みすぼらしい 女たちの装いは
あの頃 知らなかったリタ・リー
あなたの歌 まだなく
何かが心のなかではじける
大通りの真ん中 立ち止まる

この街 初めて向き合ったころ
鏡のなかには 醜いもの
昔馴染みの 顔はなく
見知らぬ何か 恐れ抱いて
ガラスの街 立ちつくす ナルキッソス
都会に幸せな夢を見れば
やがて現実となるのに
だけど僕にはそれも出来ずに
鏡の奥の裏の裏へ

果てなく続く列 貧しい人
お金の力 壊された美しさ
星空も消える 煙のよう
深い森から やがて現れる
この街を称え 雨降らす神々が
サンバが響く ユートピアとしてのアフリカ
新しい国 キロンボ・ド・ズンビ
そんな可能性を思いながら
霧雨のなか 少し夢を見る

2010年12月3日

カエターノ特集

最近、カエターノ熱が再び地味に盛り上がってきたので、いくつか録音してみた。
まずは、「インディオ」。
確かだいぶ前にライブで何回かやった記憶はあるが、録音したのは初めてだと思う。
自分でも感心するくらいの珍妙な録音。ある意味、これまでで最高の出来かもしれない(笑)。

http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/indio.mp3

これができたのは、ちょうど昨日、都内某所でDoces BarbarosのDVDなどを見てトロピカリア・スピリット(?)をいただいてきたお陰かも……(シャクリーニャのドキュメンタリーも見せていただき、これもとても面白かった。勝手ながら、誘っていただいたMさんにこれを捧げます!w)。

インディオ
七色に輝いているあの星から
目の眩むような速さで君は降りてくる
南の大陸の真ん中で静かにその目を閉じて息を吸う
最後のインディオの国が滅びた後で
鳥たちの心 透明な水の滴
あらゆる文明よりもはるか前をはるか先にはるか遠く

今 その勇気を モハメド・アリに 垣間見る
誇り高きグアラニの 物語
沈黙と正義はブルース・リーの記憶に
音はリズム、フィリョス・ヂ・ガンディーと 今

確かな肉体のなかに彼はいる
すべての気体と固体と液体のなかに
あらゆる言葉、心、匂い、光と陰、色と音の磁場に
ふたつの大きな海から等距離の場所へ
輝く星から降りた一人のインディオ
この世の物事を明快な言葉で語ってくれるだろう

その瞬間に人々は初めて知るだろう
誰もが目を開き気づき驚くだろう
かけがえのない他者という名の自由が今もそこにあることを


もうひとつは新訳で「Ca Ja」。
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/caja.mp3

一握の砂 一粒にも 光の渦が 見えるだろう
波のあとには 新たな色 溢れる愛が 見えるだろう

今ここは花よ石よいつか
今ここは時の甘い蜜が
高らかな鳥の歌、今

大いなる時 小さな音 妙なる響き 聞こえれば
風鳴らす海 羽ばたく土地 心の動き 聞こえれば

今ここは花よ石よいつか
今ここは時の甘い蜜が
高らかな鳥の歌、今


カエターノをやるとどうも固い感じの訳になってしまう。もう少しやわらかい言葉でそれらしい雰囲気を出せればいいなといつも思っている。
「一握の砂」はやりすぎかもなあ、と思っている。しかし正直、どうしたらいいのかよく分からないのだ……。

2010年11月28日

雨、大糸線、そして小田急線

祖師谷大蔵のムリウイでライブは、もう何年ぶりかの2度目だった。
確か、あのときはいつもライブをさせていただいていたお店がなくなってしまい、友人に教えていただいた情報をもとに自分で売り込みにいったのだった。
ここへ来ると、素晴らしい空間とお店がもつ温かい雰囲気にいつも感激する。夏がいいと思ったけど、冬もいいです。
heliさんの意欲的な企画に誘っていただき、深く感謝。そしてパーカッションのビリンバカ前田さんも素晴らしいサポートをしてくださった。
私も前田さんも細かいミスはたくさんあったが、全体によいユニットなんじゃないかとひそかに思っている。私のなかでのユニット名は「チキン・ビリ・アット」。もちろん、インド料理のあれ。

さて、今回はいつもよりちゃんと準備したので、曲順のメモも手元にある(いつもはかなりいい加減にその場で決めたりもする)。

1イパネマの娘 2クリスマスのプレゼント 3ロボ・ボボ 4メタフォラ(暗喩)(ジルベルト・ジル)
(前田さん登場)
5カンタ・ブラジル~ブラジルの水彩画 6田舎の列車(ヴィラ・ロボス) 7サムライ(ジャヴァン) 8プレコンセイト 9ばくてりやの世界(オリジナル) 10カンデイアス(エドゥ・ロボ) 11トローリー・ソング 12豆事情(オリジナル)

いわゆるボサノヴァは少ない。なんとなく、今回はそのほうがいいような気がしたのだ。以下はビリンバカ前田さん提供の映像。どれも前田さんのパーカッションがいい雰囲気をつくっている。
後半のheliさんが演奏しているあいだに雨が強くなった。少し寂しくも温かいあの晩の空気は何やら特別なものだった。(heliさんの演奏はこちらで!

カンタ・ブラジル~ブラジルの水彩画


田舎の列車(大糸線、小田急線ヴァージョン) 最初キーを間違えていて、恥ずかしい。鉄道好き、小田急線ファンのあの人に捧げる。


ばくてりやの世界(萩原朔太郎=詩) 前田さんが暴れていて面白い。 

2010年11月19日

「好き」と「嫌い」の間

私はとにかくボサノヴァが好きで好きでたまらないんだろう、と思っている人もいるかもしれないが、そういうわけでもない。むしろ、一般人よりボサノヴァが嫌いともいえるかもしれないのだ。
それはともかく、有名なボサノヴァ曲のなかには、苦手だなーという曲がいくつかある。
「Samba de Veraoサマー・サンバ」は、そのなかのひとつだ。
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/verao.mp3
お聞きの通り、翻訳もどこか斜めな感じにならざるをえない。
ついでにいうと、この曲をつくったマルコス・ヴァーリという人もなんとなく苦手だ。私はリオの小さな店でこの人のライブを見たのだが、あまり「いいね」な感じがしなかった。とはいえ、こういう「嫌い」はすべて「好き」の裏返しではあるのだろう。
マルコス・ヴァーリの悪口をこんなに真剣に言ったり、やや悪意のある翻訳をしたりする人間は、ボサノヴァ好き以外ではあまり考えられない(笑)。

♪サマー・サンバ
私いいのそれでいいの
愛は何も求めないの
いつもそばにいてくれたら
それでいいの 今はいいの
ほら 夏がくる
熱くなる あなたとすごす夏待ちきれない

夏はいいね すごくいいね
冬もいいね 逆にいいね
海はいいよ 山もいいよ
それはいいね とてもいいよ
ソーナイス! いいんじゃない?
どれもこれもすごい いいんじゃない?

反知的独占



いろいろ書くと墓穴を掘りそうなので、とりあえずお勧めするだけにします。
特許や著作権に違和感を感じている人だけでなく、イノベーションや創作について真剣に考え、経済的に、そして倫理的にも望ましいあり方を求める人にとって必読の書だと思う。
とはいえ、文章は難しくはないけどなんとなく読みにくく、必ずしも通読する必要はない種類の本だと思うので、図書館などで借りるのもいいかもしれない。

2010年11月15日

人望あるボッサ野郎とは……

11/25(水)のムリウイでのライブ、ご一緒させていただくビリンバカ前田氏がこんなマンガを描いていたので、さっそく転載を依頼した。よく見ると右端が告知になっていて、ご自身のユニット(たぶんBossaギャルも登場?)も満を持してライブを行うらしい。私としても、負けずに鼻を大きくして歌おうかと思うが、私見ではジルの特徴は「鼻の穴」ではなく、「鼻の下」にあるのではないだろうか。


何より愉快なライブ告知法を見習いたいが、私にはこの方面の才能がない。実は昔、よくマンガを描いていたのだが、どれも恐ろしくつまらなかったのである。
そんなわけで、以下は今後の予定です……。

★Live at 祖師谷大蔵ムリウイ
2010/11/25(木) 19:00~
出演: heli(vo. g)、ビリンバカ前田(perc)+OTT(vo. g)
Charge 投げ銭
場所:
 Cafe Muriwui (世田谷区祖師谷4-1-22-3F)
素晴らしいロケーションで大好きなムリウイは、すごく久しぶりです。ご一緒させていただくのは、ボサノヴァ弾き語りのheliさん。今回は「日本語とボサノヴァ」がテーマらしいです。パーカッションの前田さんも、きっと気持ちのいいどこかへ連れていってくれます!

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★Live at 二子玉川バーライラ
2010/12/12(日) 19:00open 20:00~
出演: タケシィ(唄、三線)、柳家小春(江戸小唄、三味線)、OTT(唄、g)
Charge 席料1000円+2オーダー+投げ銭
場所: Bar Lialeh (世田谷区玉川3-15-12)
沖縄vs江戸vsブラジルということなのか、単に弾語り3人揃えただけなのか、尊敬する柳家小春師匠、そしてタケシィは初めてお目にかかります。お店にはミッフィーもたくさんいてなごめます。

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★そっと新年会@大塚エスペト・ブラジル
2011/1/8(土) 19:00open 19:30~
出演: ramuchi2000GT(vo. g)+OTT(vo. g)+ゲスト
Charge 1000円+オーダー
場所:
 Espeto Brasil (豊島区南大塚3-29-5光生ビルB1)
ライブは前半1時間、あとはたっぷり「飛び入りタイム」を設定します。新しい年を迎えてステージでちょっと歌ってみたい、演奏してみたいという方も気軽に遊びにいらしてください。もちろん、ブラジル料理屋さんならではの飲み物や食べ物も楽しめます。

2010年11月11日

四葉のはなし

「四葉」というかわいい曲を好んで歌っているが、私がはじめて聞いたのは例によってジョアン・ジルベルトの「伝説」というCDである。
どうやら、アメリカの曲らしいと聞いたので、いくつかの英語ヴァージョンを聴いてみた。



これがもっとも有名なヴァージョンらしい(1948年、Art Mooney & His Orchestra)。
ところで、それとは別に最近、ある方に聴かせてもらったのが「ジョアンとは別のポルトガル語版四葉」であった。
やはりYou Tubeにあるというので調べてみると、なんとノエル・ホーザによる替え歌と書いてある。



それなら、もしかして家にもCDあるんじゃないかと思ったら、やっぱりありました(14枚組、まだ全部聞いてなかった……)。
Belo Horizonte 歌っているのはCarlos Didier、1935年だって。
歌詞はなんというか、ジョアンのはちゃんと四葉のクローバーだけど、こちらはちょっとした「戯れ歌」みたいな感じ。でも結構、味がある。

改めてI'm Looking Over a Four Leaf Cloverについてウィキペディアで調べてみると、作曲は1927年だというから、ちょっと驚きだ。1948年に大ヒットする前にノエル・ホーザはもう替え歌作ってたわけだ。
分からないのは、ジョアン・ジルベルトが歌っている歌詞でもっと古い録音はあるのかということ。
あと、戦前のアメリカ録音もぜひ聴いてみたいものである。
というわけで、みなさん四葉について情報提供よろしくお願いいたします!

↓我が家の家宝ノエル・ホーザのボックス・セット。

2010年11月10日

テルミー

テルミー
なぜ この胸は こうさびしい
なぜ 君と逢う その日だけ楽しい
なぜ 別れ路に 出る吐息が
君の答えおば なやむ身に与えよ


これは、先日の二子玉川ライラでのライブ、対バンの2525稼業さんチャーリー高橋さん岡野勇仁
さん
が演奏したたくさんの素敵な曲のうちのひとつ。私も、結構この辺はCDなどで好んで聴いているのでとても嬉しかった。
改めて歌詞を眺めてみると、ボサノヴァ日本語化計画と非常に近い直訳的世界だということが分かる。古いジャズ時代にはあったこういう感覚が、今はどちらかというと珍しいものになっているわけだ。拙いかもしれないけど、ストレートに伝わる。あまり恰好つけすぎない。そして、歌はみんなのものという前提のようなもの……。
そんなわけで、日本という場所から世界中の音楽を眺める独特の在り方も含め、チャーリーさんたちの試みは、とても共感できるものだった。

2010年11月1日

おっぱいとトラクター、そして誤訳について



ひさびさに本を読みながら涙がでてきた。理由はよくわからないが、よい小説だと思う。もしかしたらそのときお酒を飲んでたとか、ベタベタのメキシカン・ボレロを聴いてたとか、そういう理由も少しはあるかもしれない。

本を読み始めてしばらくは、実は誤訳のほうが気になって、「こりゃ、せっかくの本も翻訳がなあ」なんて意地悪なことを考えていた。
ウクライナの話なのに、ウクライナ国旗が空の青とトウモロコシの黄色なんて書いてある。コーンというのは穀物全般だから、この場合はどう考えても麦だろう。あまりに初歩的かつ目立つ誤訳なので、きっと訳者もあちゃーと苦笑しているに違いない。
でも、読み進めていくうちに、そんなことはどうでもよくなってきた。小説だけでなく、その翻訳も勢いがあってすごくいいのだ。

誰にも避けることのできない間違いいうものと付き合うには、2つの方法ある。
ひとつはもちろん、なるべく気をつけて慎重になること。もうひとつは、間違いを積極的に味方につけてしまうというもの。前者の欠点は、細かい点を考慮すればするほど、間違えたり、間違えに気づいたりする可能性はさらに高まるということ。そして、間違えの少ないものというのは、なんでも結構つまらないものだ。
冗談ではなくて、トウモロコシの黄色には詩的な真実があるかもしれない。そういうことは、人生のなかですごく多い気がする。
なんか自己弁護っぽくなってきたのでこの辺でやめておこう。

11月のライブ

11月は珍しくライブがいくつか予定されております。
みなさま、ぜひ気軽に遊びにいらしてくださいませ~。

★鷹の台Bossa?
2010/11/3(水・祝) 18:00~
出演: OTT
Charge 投げ銭
場所: すうぷ屋Hygge (小平市たかの台43-10)
◆10月~11月にかけてこの周辺でたくさんのボサノヴァライブが行われるようです。私が演奏させていただくこの日この場所でも、前後には別のアーティストの方が登場されます。

★静かな夜@平井Time After Time
2010/11/4(木) 20:00頃~
出演:ramuchi2000GT(鼻歌のボサノバ)、OTT(日本語ボサノバ)
Charge 投げ銭
場所: Time After Time (江戸川区平井5-16-6)
◆ramuchi2000GTさんプレゼンツの「平井の夜」シリーズは毎回いい感じです。お店はギネスも飲める素敵な居心地のよいバー。ramuchi2000GTさんの男気溢れる鼻歌スキャットボッサ未体験な方もぜひ。

★Live at 二子玉川バーライラ 

2010/11/8(月) 19:00open 20:00~
出演:2525稼業&チャーリー高橋&岡野勇仁 、OTT
Charge 席料500円とオーダーをステージ毎 出演者に投げ銭
場所: Bar Lialeh (世田谷区玉川3-15-12)
◆「初代ピアノ屋」こと岡野さんにお誘いいただきました2組の対バンです(といっても、私は一人さみしく「バン」)。2525稼業さんの「端唄、アジア民謡などアコースティック系日本語ポップス」にも興味津津。お店もはじめてですが、とてもいいところらしいですよ~。

★Live at 祖師谷大蔵ムリウイ

2010/11/25(木) 19:00~
出演: heli(vo. g)、ビリンバカ前田(perc)+OTT(vo. g)
Charge 投げ銭
場所: Cafe Muriwui (世田谷区祖師谷4-1-22-3F)
◆素晴らしいロケーションで大好きなムリウイは、すごく久しぶりです。ご一緒させていただくのは、ボサノヴァ弾き語りのheliさん。今回は「日本語とボサノヴァ」がテーマらしいです。パーカッションの前田さんも、きっと気持ちのいいどこかへ連れていってくれます!

2010年10月31日

ホジーニャ、あるいは薔薇

新しい訳です。ジョアン・ジルベルトがアルバム「ジョアン」で歌っている「ホジーニャ」という曲。
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/rosinha.mp3
ホジーニャというのは薔薇という女性の名前なので、そのままでもよいのだが、「ほら、ホジーニャ……」では少し芸がない気がした。

Rosinha ホジーニャ
薔薇よ私の心よ 君が好きさ 結婚しよう 一緒に住もう
君がかけた この魔法を解いて 苦しめないでくれ
ほら、私の心は君のものさ 結婚しよう 一緒に住もう
君がかけた この魔法を解いて 苦しめないでくれ
過ち 愚かに 繰り返さない だから薔薇よ
今すぐ決めよう 小さくキスして もう待ちきれないよ

2010年10月27日

メタファー、あるいは言葉の力



先日、ブラジル映画祭というのがあって、『Palavra Encantada 魔法じかけの言葉』という作品を見てきた。ブラジル音楽を聴いていると、仮にポルトガル語が分からなくても、豊穣な詩の世界が広がっていることが「なんとなく」感じられる。なんでそんなことになってるのか、いろいろな角度から迫った面白い作品だ。
ジルベルト・ジル「メタフォラ(暗喩)」は、そのエンディングに使われていた曲。
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/metafora.mp3

あれこれ論じてみてはものの、結局、音楽というか歌ひとつのほうが雄弁であったという話ではある。
でも、言葉と音楽(歌)の関係についてかなり深いところに迫っていたような気がする。
私の訳は、かなり元の歌から離れている。隠喩と直喩の違いを歌に入れたりすると大変なので、「たとえ」という言葉の範囲におさめてしまったのだ。
でも、教育テレビ的でもあり、ちょっと気に入っている。

♪メタフォラ
たとえば言葉が心を 入れる箱なら また
たくさんの愛を 送るだろう
「喩え」は私の知らない 場所へと続く 穴
たくさんの音を 響かせる

心に秘めた思い超えた 詩人の言葉が重なれば
まるであたかもちょうどそれは
ぴったりすぎるほど
入らない そこから 思い溢れ

きわめてありふれたものが
鮮やかに形変える
喩えるのさ もっとたくさん
言葉の力は メタフォラ

能動的な技術と受動的な技術(なぜか写真論)



前にもどこかで書いたことがあるような気はするけど、写真を撮るのが下手だ。
幸い最近はデジカメ全盛の時代なので、そのことが瞬間的に分かるが、昔は現像するまでの時間がかなりあって、いつも非常に大きな失望を感じていたものである。

先日、アラーキー(荒木経惟)のインタビューをテレビで見ていたら、もう最近は撮る写真撮る写真イケてる、みたいなことを言っていた。見ていると、もう考える時間なんかなく、構えて撮る、構えて撮るという感じなのに、撮れた写真はどれもある意味、奇跡的なところがある。私はこういう写真の不思議さというか魅力に憧れていて、だからこそ自分が撮った写真を見るといつも絶望してしまうのである。

ところで知人の写真家に宮島さんという人がいて、私はとても尊敬している。
この人とは、一緒に数日間かけて伊勢まで路線バスに乗って旅行するとか、庭をテーマに庭じゃない場所で写真を撮るとか、そういう訳の分からない仕事をさせていただいてきた。
それにしても、写真の不思議さは、カメラマンが作品を撮る現場のなかにあると言っても嘘ではない。写真の美しさとか面白さ自体、わりと言葉で説明できたり、頭で理解できたりする類のものであることが少なくない。それなのに、それを撮っているカメラマンの動きは、けっこう不可解なのだ。
仕事柄、カメラマンの動きは結構見てきたが、根本的なところで、どうも自分にはできないと感じることが多かった。一体、それは何なのか?

そんなことをあれこれ考えているうちに、アーティストには大きく分けて2つの技術と才能があると思うようになった。
能動性のなかにある技術(才能)と受動性のなかにある技術(才能)。
何かを意図してつくる表現という行為は、能動性のなかに、その本質を見いだすことが多いだろう。だが、実際のアーティストという人種は驚くほど受動的な人々である。
そして、向こうからやってくるものを、研ぎ澄まされた感覚とスピードと的確な反応でもっていかに受け入れるか……、それは簡単に真似できるものではなかったりする。私のような頭でっかちの能動バカには、とりわけ難しい課題なのだ。
たぶん、2つの技術は両方あってはじめてバランスを見出すようなものなのだろう。ただ、写真というのはとりわけこの受動性(の技術)が大切な気がする。

そんなわけで、宮島氏のウェブサイト製作を手伝えたのは、実に素敵な体験だった。
http://www.geocities.jp/dwxmj960/
タイトルは最終的に「Bath Birthday」となった。
実はこれ、私の間違いから生まれたタイトルでもある。本来は「Bath Birth」となるはずだった。宮島氏から「間違いですがこのほうが面白いので、これでいきます」と言われ、私は慌てた。
このエピソードのなかに、受動的な技術の神髄があるとは、もちろん言えない。
音楽においても、受動的な技術が重要なのは言うまでもないが、正直いって私にはそのことを語る自信がまったくない……。

2010年10月6日

最近のCDらいふ

なんだか激しくCDを買ったり借りたりしてるわりには、音楽生活はあまりぱっとしない。
音楽を聴くより、演奏するほうが楽しいというのがあるのだけど、どこか寂しい感じだ。

●メキシコの古いボレロを集めたコンピをきっかけに、メキシコの古い音源をたくさん買っている。
それにしても、「ボレロ」で検索するとろくなものが出てこないし、メキシコのポピュラー音楽についての情報があまりに少ないことにちょっと驚いている。
ブラジル並にとは言わないけど、もう少し注目されてもいい気がする。


●周囲でまた赤ん坊がつぎつぎに生まれている。
出産祝いにお勧めのCD。


●小泉文夫監修ワールドミュージック全集のコピーは100枚中90枚ほど終了。

●ブラジル関係ではなんといってもジルベルト・ジルの「Bandadois」
DVDで見るとジルのギターと歌は本当に神業です。


●あとは、アブドゥーラ・イブラヒムの作品などなど。

2010年10月5日

京都で何をおもう

ひさしぶりに京都へ行ってきた。
京都には住んだこともないのだが、小さな縁がいくつもあって、もう十何回か訪ねていると思う。
東京に住んでいる人にはよく京都に対する妙な憧れがあり、私もそれを共有している気がする。鴨川沿いに出るたび、説明のできない感動がある。
今回は楽しみにしていたアブドゥーラ・イブラヒム(ダラー・ブランド)の上賀茂神社でのライブにあわせ、京都ではなく岐阜あたりをぶらぶらしてこようか、などと思っていた。
しかし、先週はちょっとしたハプニングがあり、それは不可能になった。そして、すでに書いたように週末は自分もイベントの予定があった。
そんなわけで、滞在時間24時間にも満たない弾丸ツアーとなってしまった。
新幹線は高い。せっかく行くならもっとのんびりした旅を楽しみたいものである。

以下は旅のメモ。
出町柳 ファラフェル・ガーデン http://www.falafelgarden.com/ (日本ファラフェル界の聖地)
下鴨神社 たぶん昔兄がこの辺に暮らしていた。
茶寮 宝泉 http://www.housendo.com/shopinfo.html わらび餅がうまい。しかし、こういうところに行くと京都って大変だなと感じる。
深泥池  有名な心霊スポットらしい。
上賀茂神社
スペインバル http://www.jampack-kyoto.com/ (京都在住の知り合いが教えてくださった。マンチェゴ・チーズがとてもおいしい。)
というわけで、飲んだり食べたりばかり……。

さて、最後になってしまったが、アブドゥーラ・イブラヒムのライブ。
私は最近になってこの人の名作「アフリカン・ピアノ」を初めて聴いたくらいなので、あまり多くを知らない。
昔のとんがった音源にくらべると、かなり雰囲気はまるくなっており、スピリチャルな感じさえある。
外からは虫の鳴き声が聞こえるなかで、ピアノの音はどう聞こえるかなと思ったが、まあピアノはピアノだなと思った。
音楽にはいろいろな種類があって、私はどちからというと「真善美」でいうところの真や美を追いかけて聞いてきたかもしれない。でも、彼の音楽は圧倒的に善な感じがして、少し恥ずかしい気持ちになった(笑)。
前に座っていた女性の頬には涙が光っていた。
そのとき私は、スペイン・バルでワインを飲むかビールを飲むか、などとぼんやり考えていた。

2010年10月4日

過剰な過剰さのはなし


奏@国立のジョアン・ジルベルトトリビュートなライブにて。
右は尊敬するギタリストの「よなごん」こと代永光男氏、真中はお馴染柳家小春師匠。


他人の自己分析とか自己省察とか、読んでもつまらないかと思いますがどうかお許しを。

私は「過剰さ」というものが大の苦手だが、自分のなかにもどこか「過剰さ」があり、また「過剰さ」を引き寄せてしまうようなところがあるように思う(要するに、困った人間ということだ)。
というのも、昨日は国立の奏さんというお店で素敵なイベントに出させていただいたのだが、自分としてはもう少し軽く、すっとやめておけばよかった……と後悔したわけ。
出演者が多く、みなさん非常に内容の濃い演奏だったので、全体によいライブではあるんだけど、大変ヘビーで胃にもたれるものになってしまったのではないかと心配しているのである。
その点、柳家小春師匠なんかはちゃんとバランスを心得ていらっしゃる。
昨日の場合は、次に登場して流れをつくった私が全面的に悪かたったのだ(笑)。
とはいえ、こういうぎゅうっと詰めこんだものが嫌いかというと、そうでもないようにも思え、自分でも実に訳がわからない。
そうだとすれば、わざとやっているということになる。
他人がうんざりするようなことを、私はいつもやってるなあ、とか反省しながら次の悪事を企んでいるようで非常に始末が悪い。
そういうわけで、過剰さのついでというか、大量の動画をアップしちゃおう……。

マダムとの喧嘩は何のため?


トローリー・ソング


三月の水


Eu Sambo Mesmo


弾語りもかっこいい杉山茂生さん、そしていつもながら素晴らしい小春師匠との「カエル」

2010年9月19日

ライブふたつ

今年の夏はしんどかったな~。
というわけで、ここのところろくに録音活動もしてないけど、実は弾語りの調子(そういうものがあるとすれば)はとてもいいのです。
なので、みなさま、ぜひライブに足を運んでくださいな。

その1。
例によって、子連れ可の素敵なクラブイベント。この日はビリンバカ前田さんにもパーカッションで参加していただきます。

marble vol.6 at orbit
2010.9.26(sun) 14:00-19:00

entrance fee:1500(1drink付き)
LIVE: OTT + ビリンバカ前田(パーカッション)
ぴっかり(http://ameblo.jp/pikkari/
DJ:Sano,michi,♪,fulore
VJ:Koei
about “marble”
“marble”は赤ちゃんから大人まで皆がリラックスしてライブやDJ、そしてお喋りを楽しめるアフタヌーンパーティーです。靴を脱いで、アットホームな空間でトホームな空間で素敵な音楽に耳を傾けつつ、はしゃぐ子供たちを眺めながら、心安らぐ休日の昼下がりを・・・。
前回の様子など少し掲載しています。→ http://www.anycreative.net/freakfunk/
orbit(三軒茶屋)
東京都世田谷区太子堂5-28-9 J&I BLD B1F
tel:03-3411-3810  http://bar-orbit.com
※marble当日は禁煙(喫煙スペース有り)、土足厳禁、再入場可、赤ちゃんの寝んねスペース有り
info
http://www.objectrecords.com
marble.itoh@gmail.com
ご質問等ございましたら、お気軽にお問い合わせ下さい。

その2。
国立の奏にて、ボサノヴァ弾語り会。
みんなすごい人ばかりですが、といわけよなごん師(代永光男さん)の演奏をぜひお見逃しなく!

10月3日(日曜日)16:00open 17:00start
音楽茶屋 奏 (国立)
『中央線BOSSA』

杉山茂生(vo,g)OTT(vo,g)代永光男(vo,g)大橋幹生(vo,g)kohaura(vo,g)
国立の奏で発足した、中央線<不良>ボッサ!緩やかに進展中。
(演奏者にカンパ+オーダー)
音楽茶屋「奏」 042-574-1569
国立市東1-17-20 サンライズ21 B1F
JR 中央線 国立駅南口より 旭通りへ 徒歩4〜5分
TEL:042-574-1569
http://www.geocities.jp/exit1670023/MAP/sou.html

2010年8月7日

録音のお悩み

今年になってから新しい機材を買ったりしているのだが、しばらくポータブルレコーダの一発録音ばかりしていて、使っていなかった。
なかなか腰を据えて録音に取り組む時間というか余裕がなかったのである。
ようやく、その気になってきたので、まずは試しに新しいMTRと取り組んでみるとことにした。
それにしても、多重録音というのは楽しいが、結構面倒である。そして、意外に出来てみると何か面白味がなかったりする。

イパネマの娘
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/ipanema.mp3
(後半にいい加減なシンセが入っている……。)

でも、もう少しちゃんとアレンジもやって、こういうのをしっかり作ってみたいという欲望は常にある。
一方で弾き語りを一発録りしてみると、ものすごく乱暴になってしまうし、ミスは多いし、
呆れつつも、音楽としてはこっちのほうがいいのではないかとも思う。

俺のバイーア
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/euvim.mp3

このふたつのあいだで揺れるのは、単に私の技量がどちらをやるのにも足りていないということに起因するのかもしれない。
他人にとってはどうでもいい録音の悩みは、深い。



2010年7月16日

平井の夜

やや突然ですが、20日(火)、平井の素敵なバータイムアフタータイムにて演奏いたします(21時ころスタート、チャージはなし。ギネスの生が飲めます)。
ramuchi2000GTさん主催の「平井の夜」なのです。平井の夜ってなんだ、平井ってどこだという方も、ぜひ遊びにいらしてくださいませ~。

最近、市村さんは男気ボッサをサボって(?)、カリンバとかで気持ちいい音を奏でているらしい。
私としては、ちょっと違う方向で「音の対決」を試みたくなって、こちらも最近ギターをサボって打楽器に打ち込んでいるというビリンバカ前田さんを誘ってみた。
一体、どんな素敵な夜になるのか、まったく予測がつかない……。

2010年7月10日

黒魔術? ブードゥー?

例によってジョアン・ジルベルトの大好きなアルバムから英語の曲。
昔、アメリカに留学してたときに、よく口ずさんでた記憶がぼんやりとある。
しかし、私はコール・ポーターのことはまったく知らない。

ユー・ドゥ・サムシング・トゥー・ミー
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/something.mp3

今私は君に溺れているの?
教えてくれ
どんな魔法使った?
君に夢中
黒魔術か ブードゥーか
いいよ 君になら
呪われてもいい

2010年7月8日

酔っ払いと綱渡り芸人

チャップリンの「スマイル」にインスパイアされてジョアン・ボスコがつくったとか、ブラジル軍政下の圧制をエリス・レジーナが劇的にうたったとかで、わりと有名な曲だ。

ジョアン・ボスコ「酔っ払いと綱渡り芸人」
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/bebado.mp3


街の灯(あかり)消え 喪服の
赤ら顔のあいつ まるでチャップリン?
いつも千鳥足で踊る 星たちの光も 飲み尽くして
雲よ 赤い血に飢えた 人々の痛みは 足りぬか?
まだ苦しみは続くの? 酔っぱらいは踊る
夜明けは来ない meu Brasil

遠く離れたどこかに
あなたは連れられ 愛する人よ
きっと戻ってくるよと 気高き母たちは涙ふいて
心 突き刺す痛みは どこかへ導くの? 希望は
目の くらむような高みに 架けた綱の上を 歩いてゆく
今 綱渡り芸人は 命がけで歩く 前を向いて


かなり忠実に訳したつもりだが、それでもこの比喩的な表現には若干の説明が必要だろう。
酔っ払いは当時のブラジルを牛耳っていた軍部、綱渡り芸人はそんな社会で危なっかしく生きている国民を表現しているようだ。
そして、どうしても訳せなかった単語もある。
「拷問」は、うまく歌にすることができなかった。
でも、「どこかに連れられた」人々は拷問を受けて血を流し、それを雲が吸い取ってる、というような禍々しいイメージなのだから、これは不誠実な訳かもしれない。
私の力不足の問題か、日本語の響きの問題か、あるいは他の問題か。
なんにせよ、ちょっと悔しい。

2010年7月4日

そっと終わる

先日、ひとつの地味なイベントが幕を閉じた。
私としては「ジャンル問わず、大音量厳禁以外は特にルールなし」というところが、結構重要だった。
名前の「そっとナイト」も、それを表現している。
数えてみれば二年間で四十数回、よくやったものである。
でも単なる終わりじゃなくて、何かのスタートになりそうな予感もある。
これまで、参加してくださったみなさま、心より御礼申し上げます。

小春師匠と「四葉のクローバー」


ヘリさん他と「ドラリセ」

2010年6月22日

サムライさむらい

先月の国立・奏ライブでご一緒させていただいた杉山茂生さんが弾き語りしておられた、
ジャヴァンの「サムライ」という曲。カッコいいなあ~と思って、私もやってみた。
とはいえ、いかにも地力がないと貧相になってしまう、そういう種類の曲ではある。
そのうち多重録音をがんがんやってベースやホーンも入れて派手に誤魔化したい。

サムライ Samurai
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/samurai.mp3

歌詞のほうは結構ばかばかしくて気に入っている。

愛、思いは報われぬのか?
愛、何ゆえ 心は生かさず殺さず
愛、すなわち誠の心
愛、いつしか志も届くのなら
光、照らす 心の奥 それはまるで 戦う 愛の力
跪くだけさ あなたを愛してるよ サムライ
負けて幸せ 降伏するよ


国際語としての「サムライ」というのは、まあこんな感じかな~と思う(テキトー)。
原詩は「愛」が強力なサムライで「それに喜んで仕える」みたいな感じだが、
私は例によってもう一歩思い切ってさらに情けない感じにしてみた。

2010年6月12日

エスペトライブ

先日のエスペト・ブラジルのライブの報告です。
いいライブだったと思います。
PAが格段によくなっていて、その影響も大きかったかもしれない。
あと、先日やってきたボサノヴァの神様も(笑)

そして、一緒にやってくれた音楽仲間にも深く感謝。
誰が奏でる音であれ、一音一音がだんだん貴重に思えてくるのは、年齢のせいかしら。


↑高校時代の親友が撮ってくれた写真。
彼が言うには、今までのライブとは全然違ったって。嬉しいやら、悲しいやら。
幸い(?)、しばらくライブの予定がないので、少しゆっくり音源でもつくってみようかと思う。

ゴージャスなあの娘のサンバ E Luxo So


Brasil Pandeiro ブラジル・パンデイロ

2010年6月5日

カンデイアス

世の中には難曲と感じられるものが結構あるが(少なくとも私にはそうだ)、これもそのひとつだった。
エドゥ・ロボ「カンデイアス」
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/candeias.mp3

歌詞も、なんだか最後のところで妙に幻想がかってしまい、迷子になる。
「とにかく幻想的って感じかなあ」といい加減に思いながらつい「まぼろしの……」と訳した。
詩人であれ詩の訳者であれ、これは反則というか、恥ずかしいので普通はやらない。

愛する場所 あなたのカンデイアス
愛するあなたがいるから
離れ行く土地に未練はないよ
懐かしい思い出話もないし
シダの葉の揺れるあの浜に戻る
輝ける月の 真っ白な光照らす
あなたの透明な瞳のなかには
あるのさ 望むもののすべてが

愛する場所 あなたのカンデイアス
愛するあなたがいるから
離れ行く土地に未練はないよ
懐かしい思い出話もないし
今すぐ帰ろう あの遠い場所が
どこにあるのか 波間を揺れる船
白い巡礼は 幻のバイーア
白いろうそくの 幻はバイーア

ボサノヴァの神様

このブログの読者のなかには「ボサノヴァの神様」などと書くとすぐにジョアン・ジルベルトのことを思い浮かべる方も多いかもしれない。でも、これはそういう創世神話のことではなく、どちらかというともっと情けない、ショボいものの話である。
その超自然的な存在が、私のところへ突然やってきたのは数日前のことだった。
薄汚い灰色の服を着ており、一見してありがたい神様というより、貧乏神のよう。
だが、私の右手に触ったかと思うと「そこは逆だね」と小さな声で言い、じっと私の目を見つめたのだ。視線にはちょっとした憐れみというか、どんよりした鬱な気分が漂っていた。
私は、悲しくなってすがるように言う。
「十年もギター弾いてきたんです。もう、どこにも行かないでください!」
すると神様はますます気の毒そうな顔をして、しかし何も言わず、そこにごろんと寝転がった。ぷーんと鼻につくような臭いが漂ってきたが、私はギターを弾き続けた。

2010年5月31日

サンバ二態

楽しさと悲しさ、カッコよさと滑稽さ、相反する2つが同時にあるのがサンバであると、
Desde que Samba e Samba(サンバがサンバである所以)
という歌はうたっているように思う。
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/desde.mp3
Brasil Pandeiro(ブラジル・パンデイロ)のような、ひたすら愉快そうな曲でも同じだろうか?
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/pandeiro.mp3
同じであってほしいと私は思う。

課題となっていた2つの曲を録音してみたが、それこそ、いいんだか悪いんだか……。
近所の工事現場とか、小鳥の鳴き声、同居人がパソコンを叩いている音とかも入ってます。

そっとナイト、そっと

2年ほど前から、「そっとナイト」というイベントを開催してきた。
小さなお店で貧弱なPAのみでそっと歌ったりギターを弾いたりする、とても地味な会。
主催者の人徳のなさというか、いつも盛況とはいかなかったが、もう四十回以上、実にいろんな方たちに来ていただいた。

6/10(木)大塚のエスペト・ブラジルというお店でやるライブは、
ある意味、この「そっとナイト」の拡大版みたいなものだ。
よくこの会に参加してくださっている2組のアーティストと私、そのあとはたぶん飛び入り歓迎。アットホームな雰囲気になると思う。ブラジル料理をつまみに、私もゆっくりビールを飲ませてもらいます……(普段のイベントでは店員もやっている)。

2010/6/10(木)19:00~22:00 場所: Espeto Brasil (豊島区南大塚3-29-5光生ビルB1 )
出演: as praias desertas(ケニー小泉+立石レイ), heli, OTT
Charge 1500yen

「そっとナイト」のほうは、諸事情あって次回(6/28月曜 19:00~)をもって、そっと長い休みに入る予定です。
ご縁のあったみなさま、本当にありがとうございました。
そして、またどこかでお会いしましょう!

2010年5月18日

ゴージャスなあの娘のサンバ

このところ、ひたすらこの曲を練習している。
かなり近所迷惑なことだろう。ごめんなさい、ご近所のみなさん。
そして、同居している人はさらに迷惑である(涙)。

というわけで、一区切りつけて録音した『E Luxo So ゴージャスなあの娘のサンバ』です。
http://ott.sakura.ne.jp/ottnet/songs/eluxo.mp3
この曲は、私がギターを弾きはじめたころからやりたくて、何度もチャレンジしたのだけど、
いつも最後のところのプララカイカイカイのところで訳がわからなくっていた。
楽譜をみても、全然理解できなかった。
まあ、今回のが「正解」かどうかはまったく不明ではあるが、とりあえず私はこんな感じでいこうと思う。

「E Luxo So」
ほら、あの子が踊るサンバ いいでしょ?
こんど、一緒に踊らないか いいでしょ?
ああ、輝いてる 笑顔が
もう とにかく夢中 ゴージャス あの子のサンバ

ほら、あの子が踊るサンバ いいでしょ?
こんど、一緒に踊らないか いいでしょ?
この 心に忘れてた 感じた
あなたのすべて 大好きなブラジルの
今サンバが はじまったから おどろうかな?
今サンバが はじまったから おどろうかな?
わき上がるリズムが あなたにも聞こえるかなあ

2010年4月27日

5月の予定

5~6月、いくつかイベントがあるので、ぜひ遊びにいらしてくださいませ。
私の人生は快調とはいえませんが、最近、演奏はわりと快調なのです。



まず、連休中の5月5日は子どもの日ということで(?)子連れ可の楽しいイベント。
詳細は以下の通りです。
marble vol.5 at orbit
2010.5.5(wed) 14:00-19:00
entrance fee:1500(1drink付き)
LIVE: hacomaco奏(http://www.hacomaco.com) OTT (ゲスト:米山由希子[ピアニカ])
DJ: Sano,kuri,♪,fulore
VJ: Koei

about “marble”
“marble”は赤ちゃんから大人まで皆がリラックスして音楽やお喋りを楽しめるアフタヌーンパーティーです。靴を脱いで、アットホームな空間で素敵な音楽に耳を傾けつつ、はしゃぐ子供たちを眺めながら、休日の昼下がりをまったりと・・・。
前回の様子など少し掲載しています。→ http://www.anycreative.net/freakfunk/
orbit(三軒茶屋)
東京都世田谷区太子堂5-28-9 J&I BLD B1F
tel:03-3411-3810  http://bar-orbit.com
※marble当日は禁煙(喫煙スペース有り)、土足厳禁、再入場可、赤ちゃんの寝んねスペース有り
info
http://www.objectrecords.com
marble.itoh@gmail.com
ご質問等ございましたら、お気軽にお問い合わせ下さい。



続いて5月9日(日)は、中央線BOSSA@音楽茶屋 奏国立市東 1-17-20)。
http://www.m-net.ne.jp/~has/concert-map/sou.html
18:00~(17:00 open) オーダー+投げ銭
加藤崇之g 宅朱美vo 杉山茂生 vo, g 柳家小春vo,g
という、出演者がすごい(たぶん)。



あと、四谷だあしゑんかの「そっとナイト」は5/24(月)19:00~です。

2010年4月22日

サンパウロへのサウダージ

最初に見たブラジルはサンパウロで、私はそこで2週間近くうろうろした。
ご存知の通りコンクリートだらけの巨大都市であり、リオやサルヴァドールに比べれば、色気はない。
でも、長い時間を経て記憶のなかでは、美しいリオやサルヴァドールよりもサンパウロのほうが存在感を放っていたりするから不思議である。
遠い昔にレヴィ・ストロースが撮影したこれらの写真が魅力的なのも、やはり時間の経過があってこそだろうか?
今福龍太さんが撮った写真との「今昔」の対比も面白いし、同氏のちょっと気取った文章も悪くない。
それでも、ちょっとやりすぎの本という感じは否めない。



今福氏とほぼ同じ頃サンパウロへ行った私が探したのはレヴィ・ストロースが見たこの街じゃなくて、若き日のカエターノ・ヴェローゾが見た風景。
「サンパ」という歌のなかにある「サン・ジョアン通りとイピランガ通りの交差点」に立って想像してみたが、正直言ってよく分からなかった。



この名曲をジョアン・ジルベルトが素晴らしいカヴァーにしてしまった。
ジョアンの素晴らしい演奏はたくさんあるが、原曲をうまく料理したカヴァーという意味では、聴くたびに感心して凄いと唸ってしまう。
私は必死に日本語の歌詞をつけてみたが、2つのヴァージョンに挟まれて迷子になってしまったようだ。
レパートリーとしてなんとかもう一度復活させたいのだが、手直しすればするほどヘンテコになってしまう。
これを無理に訳そうとすること自体が「やりすぎ」なのかもしれない。

2010年4月19日

語り物の魅力

ときどき、たぶん二年に一度くらい「邦楽ブーム」みたいなのがやってくる。
もちろん、あくまでも自分のなかだけ、「マイブーム」のお話だ。
今回きっかけとなったのは、『〈声〉の国民国家 浪花節が創る日本近代』という本。
「国民意識」を鼓舞しながら、日本という近代国家の誕生を祝うかのように大流行した浪花節を論じた刺激的な本だ。



そういえば、浪花節って苦手だよなあと思いながらも、youtubeやCDでいろいろと聴いてみた。
ほとんど世界観を共有できぬままにも惹かれるのは、やっぱりこれが音楽と言葉のあいだに横たわる「語り物」という領域だからだろう。



当時の人々が、たとえば桃中軒雲右衛門のなんとも表現しがたい独特の声に耳を傾けながら、あるいは自分でも一節「唸って」みるうち、ある種の思想や帰属意識が身体化されていったというのは、まあわからないでもない。
しかし、気味の悪い話ではある。
冗談めかして今の時代で無理に譬えるならば、EXILEの踊りを真似て鏡に向かっているうち、いつのまにか若者みんなが皇居前で踊っていた、みたいな話。
しかし、もちろんそれが絶対にありえないこととは言えない。
かつて、私たちは「東京音頭」を夢中になって踊りながら、戦争へと突入していったこともあるのだから。

さて、浪花節がどうもしっくりこないなか、同じ兵藤裕己氏の『琵琶法師―“異界”を語る人びと』も読んでみた。
というか、まず本のオマケについてくる「最後の琵琶法師」たる山鹿良之の演奏に衝撃を受けた。爺の魅力がすごいのである(笑)。
そんなわけで、今はこのCDに夢中である。



私のもっとも思い上がった野心は、新たな日本の語り物のスタイルを確立することかもしれない。
もちろん私には音楽的才能も文学的才能も欠けおり、いつか……と夢想するだけなのだが。
それにしても、一体何を語るというのか?
全然、見当がつかない。
このCDのなかでいうと『道成寺』が近いような気がする。たとえばこれを携帯小説みたいな感じにアレンジしたらどうだろう。
さらにカフカのアフォリズム(掟の門)とか、テレビの「すべらない話」みたいな笑いの要素を少し入れるのはどうだろう?
いずれにせよ、現代は忙しい時代なので、少し短くする必要があるだろう。
そんなわけで、夢を見るのは楽しいのである。

*追記*
木村理郎『肥後琵琶弾き 山鹿良之夜咄―人は最後の琵琶法師というけれど』もよい本。上の『琵琶法師』、DVDは素晴らしいが本としてはやや抽象的すぎる気もする。

2010年4月15日

モーホに響くアヴェ・マリア

サン・パウロは低湿地に貧しい人が住み、リオは水のない丘(モーホ)に貧しい人が住んだということらしい。でも、ブラジルは成長を続けているし、オリンピックに向けてリオも変わるだろう。
仮に「天国からはちょっと遠ざかる」としても、それは基本的によい方向であるはずだ。

そんなわけで、モーホのアヴェ・マリアを訳してみた。

貧しい人たちの街 僕らのあのモーホ 住めば都
華やかな幸せはないけど 丘にのぼれば 天国も近い(天国も見える)
朝焼けも 夕暮れも 美しい
輝く空 鳥たちも歌う
丘には祈りの声が響く アヴェ・マリア
丘には祈りの声が響く アヴェ・マリア

2010年4月12日

お坊さん、お坊さん


尊敬するアーティストであるボサツさんの結婚パーティーにお呼ばれしてきた。
光栄というほかありません。


ボサツノバンドのえび子ヌーヴェルバーグさんとドラムの的場さんも。
お二人ともサイコーです。



ラブラブです。
スウィートなカップル。



私も15分ほど演奏させていただきました。
ボサツさんの「きりんさん」をさらにアレンジした「お坊さん、お坊さん」~いつもの三月の水。


さて、みなさまお待ちかねのボサツノバンド。
ご本人たちの了解は得てないので、近いうちに削除するかもしれません。
オリジナルメンバーのケン菩薩さんも鳥取から参加とのことで盛り上がった。
しかし、新婦が森のくまさんを歌ったりした後半のほうが、もっとよかった。
カメラの電池が切れたのでそこは撮れなかったのです。



お二人の幸せと、近いうちにまたお会いできることを祈っております。

2010年4月6日

ローカル線はゆく(ヴィラ・ロボス)

ヴィラ・ロボスの「ブラジル風バッハ」に挑戦してみた。
とはいっても、もちろん、ちっともクラシックじゃない。
ボサノヴァでもないし、一体これは何なのか。
ちょっとフォークソングぽいか?

♪ローカル線はゆく(付:大糸線はゆく)♪


走れよ電車 ローカル線よ
夕暮れ近づく 田舎の街を
どこまで行こうか? 明日がくれば
夜空の向こう 山越えて 谷越えて
どこまでも乗せて行け 人生と歌を乗せ 行け

走れよ電車 大糸線よ 梓川渡り 安曇野を行く
夕暮れに浮かぶ 有明の山
大町、白馬、南小谷、糸魚川
どこまでも乗せて行け 人生と歌を乗せ 行け

私は子どものころ、結構鉄道が好きだった。宮脇俊三なんていう人の文章を読んで、「国鉄全部乗ってやろう」なんて野望も抱いたものだ。
そんなわけで悪ノリして、思い出深い九州の九大線とか地元の西武新宿線とかも登場させようかと思ったが、結局ちゃんと出来たのは大糸線だけだった。
この曲はたぶん著作権も切れているんじゃないかと思うので、鉄道好きのみなさんがこの調子でどんどん作ってくれると嬉しいなあ(笑)。

(ヴィラ・ロボスの名曲だが、私はエグベルト・ジスモンチのヴァージョンで親しんでいた。
歌詞の存在を知ったのはごく最近だ)





2010年3月13日

Feitico da Vila (ヴィラのこだわり)

私は結構曲を間違えて(というかいい加減に)覚えているので、そのまま日本語をつけたりすると、原曲から遠くかけ離れたことになったりする。
それはそれで面白いからいいじゃん、とこれまたテキトーなことを思ったりもするが、あまりに違いすぎると自分でも気持ち悪くなることがある(笑)。
なかでも「Feitico da Vila (ヴィラのこだわり)」と「ブラジル・パンデイロ」は気持ち悪いので、修正したいと思っている。
しかし、メロディに合わせて日本語まで微調整しなければならないので、これはなかなか苦しい作業だ(完全に自業自得である)。
ここでは、ようやくまあなんとか形になった「Feitico da Vila (ヴィラのこだわり)」を録音してみました。
なんか、出だしがものすごく不安定ですが(笑)、なかなか味わいのある歌詞なので、ぜひ聞いてください。

ところでこの訳は、どちらかというと「部分訳」であり、難しいところ、分からないところは省略している。
いろんな意味で語るべき内容が多い歌詞らしく、ネットにはカエターノ・ヴェローゾが内容を講義(?)しながら歌っている下のような動画もある(ブラジルの人種問題についてらしい)。
ポルトガル語に堪能な方、ぜひ聞き取って内容を私に教えてください!
もしかすると、また訳を変えなきゃいけない事態になりかねないけど……。

2010年3月4日

Eu Sambo Mesmo(僕のサンバ)

100曲目候補だったEu Sambo Mesmo、意外に簡単に訳せたのでやってみた。
とはいえお聞きの通り、難しいのは訳すことよりも演奏のほうである……。
とりあえず現状は、こんな感じということで。

この曲が1曲目として収録されている「ジョアン」というアルバムが大好きだ。
もちろん、他のアルバムもいいが、『レジェンダリー』以外でひとつ選べといわれたら、これを選ぶかもしれない。オーケストレーションのバランスとかの話もあるが、何よりこの曲でいきなりガツンとやられたてしまうという単純な側面も大きいのである。

2周年、皿洗い

四谷三丁目だあしゑんかは3月7日(日)に開店2周年を迎えます。皆様のおかげでなんとかここまで続けることができました。どうもありがとうございます。日頃のご愛顧にお応えしまして、7日は18時から生ビール(エーデルピルス)が1杯300円となります。
お世話になった方々、本当にどうもありがとうございます。
ついでに、まだいらしたことのない方々、ぜひ一度はおいでませ。

ところで、そもそもなんでこんな店をやることになったのかとよく質問されるが、ここだけの話、私は飲食店経営全般に興味があったのであって、どうしてもチェコビールの店じゃなければいけない理由は特になかった。共同経営者がその方面に通じていたので、私はそれを手伝おうと思ったわけだ。

2年間やってみて、私は特に飲食の仕事に向いているわけでもなさそうだが、ものすごく不向きというほどでもないようだ。
ただ、ときどき思うのは、私は皿洗いの作業がわりと好きだからこの仕事を続けていられるんじゃないかということだ……。つまり、のんびり皿を洗っていると、妙に心が洗われるのである。
皿洗いが「therapeutic」であったとエッセイに書いたのは、ロシアの詩人ヨシフ・ブロツキー。これは私が大学で学んだなかで覚えている数少ない知識のひとつである(笑)。

2010年2月25日

100曲目?

恥ずかしい話だが、ときどき「これまで何曲訳したんだろう?」と思って数えてみたりする。
途中でボツになった曲もあるし、どう考えてもボサノヴァとは呼べない曲もあり、そもそも数ははっきりしないのだが、このあいだ数えたら99曲あった。
それで、「次は100曲目にしよう」と思った次第。
意外にそういう節目が好きなのかもしれない。

さて、それなら100曲目はやはりジョアン・ジルベルトのレパートリーにしようと思い、次の3曲を候補とした。
Ave Maria no Morro (きっと詩が美しいにちがいない)
Morena Boca de Ouro (いかにもジョアンらしい曲)
Eu Sambo Mesmo (大好きな曲)
結局、ひとつめと3つめはなかなかうまくいかないので、2つめに集中した。
これは素敵な女性の踊る姿を歌いながら、いつのまにかサンバ讃歌になっているようだ。
かつ、追いかけても決して自分のものにできない感じであり、この凄いようでどうでもいい節目には、ちょうどいい気がしたのだ。
しかし、最後のところでかなり苦戦してしまった。

黄金の口のモレナ Morena Boca de Ouro

モレナとびきりの可愛い子 笑顔も輝いて
見たことがないような
ジンガ踊りはまさに サンバ 君が好きさ
誰もが振り向くその姿 男たちの悩み
聞いたことがないような ジンガ魔法のリズム
サンバ どこへ行くの
胸の鼓動 パンデイロ
まるで奇跡のサンバ奏でる
サンバ君が誘い サンバ君は逃げる
アモール 愛はまた生まれる
そしてサンバは続く 心奪い 傷つけて
モレナここに君を愛し 見つめる 哀れな僕がいる


いまだに、「そしてサンバは続く」は「そしてサンバよ続け」のほうがいいかな、
などと思ったりするし、あちこちの「てにをは」もピシっとこない。
もしかしたら、かなり失敗作なのかも。

付け加えると、「ジンガ」は「千鳥足」「揺れ」「フェイント」。
サッカーやダンス、音楽の「奥義」かもしれないもの。
女性も音楽も永遠に謎ということにして誤魔化し、私の人生も続くのである。
いや、やっぱり「続け」にしようかな……。

2010年2月14日

フェミニーナ

長年の課題だったジョイス女史の「フェミニーナ」の訳、ようやく一応録音できた
今回は、ここにちゃんと歌詞を書いておこう。

ママ、大人になったら あのフェミニーナ 女らしさ私に
分かるときがくるかな?
あなたは笑った このフェミニーナ
長い可愛い 笑顔だけじゃないのと
紡いだ糸が切れたら 大きな空へと飛び立つ

ママ、あなたが教えた このフェミニーナ 女らしさ私が
私であることだと
終わりと始まり 同じものなら 長い道のどこから
どこへ行くの私は?
世界のご馳走並べ テーブル燃やしてしまう


この歌は彼女なりの「フェミニスト宣言」だと思うので、訳していて緊張した。
もう十何年も前のことだが雑誌のライターとして彼女にインタビューをして、「フェミニストとして尊敬しているのは誰ですか?」と質問したことがある。
答えは、「お母さん」。
そのとき私は、この歌の意味をちゃんと考えずに聞いていたのである。
そういえば彼女の自伝にも、この素敵なお母さんは出てくる。

2010年2月2日

新しいギター

新しいギターを買ってしまった。
これまで弾いてたものとは、かなり方向性が違うのでとても楽しい。
というわけで、新しい訳を2つ。

トニーニョ・オルタ「Bons Amigos(友だち)」

ノエル・ホーザ「O Orvalho Vem Caindo霧がおりたら」

2010年2月1日

子どもたち

さすがにこの年代の子たちがライブで音楽なんか聴いても、何も残らないだろう。
でも、そんなこととは別に、
見ていると「ああ、これからはこの子たちの時代だ。頼むぞ~」みたいな気持ちになり、
逆に、ちゃんとやらなきゃと思ったりするから不思議である。
たぶん、子育てをしている親たちも、そういう感じなのかな?
私は親になったことがないので分かりません。

「四葉 Trevo de 4 folhas」若い女子たちが迫ってきて緊張(笑)。


「十字路 Caminhos Cruzados」クラブ慣れした赤ん坊。

2010年1月21日

marble vol.4

四回目を迎える素敵なパーティーに出演させていただきます。
私の演奏は、3時~4時半頃の間のどこか、たぶん30分くらいです。
その他の時間は、たぶん子どもたちを観察しながらビール飲んでます。














marble vol.4 at orbit

2010.1.31(sun) 14:00~19:00
fee:1500yen/1drink

Live
OTT(ボサノヴァ日本語化計画)
http://hiyokomame.com/ottnet/bossa/index.htm
Daisuke Sugimoto 
http://www.myspace.com/daisukesugimoto

DJ
Sano、Saito、Fulore

VJ
Koei


about "marble"
今回で4回目の開催となる"marble"は子供も大人も一緒にリラックスして音楽やおしゃべりを楽しめるサンデーアフタヌーンパーティーです。
靴を脱いで、アットホームな空間で素敵な音楽に耳を傾けつつ、はしゃぐ子供を眺めながら、日曜の昼下がりをまったりと...。

プチフリマ@marble
イベント中、会場内でベビー・子供服、おもちゃ、育児グッズ等の子供用品限定の
フリーマーケットを開催します。
サイズアウトしちゃった洋服や使わなくなった玩具等を持ち寄りましょう。
1品からOK。どなたでもご参加いただけます。出品したい方は14時半までにお越し下さい。


orbit (三軒茶屋)
東京都世田谷区太子堂5-28-9 J&I BLD B1F
tel:0334113810
http://www.orbit.ne.jp/
★禁煙(喫煙スペース有り) ★土足厳禁 ★再入場可 ★赤ちゃんの寝んねスペース有り

info
http://www.objectrecords.com
marble.itoh@gmail.com
ご質問等ございましたら、お気軽にお問い合わせ下さい。

2010年1月16日

大きな愛

ヴィニシウスの詩は大袈裟なのが多いが、これもそのひとつだと思う。
抽象的で、それこそ「偉大」な感じもするが、私のようなだらけた人間には、やや恥ずかしいと感じられることもある。

大きな愛(O Grande Amor)

この曲はジャズ・ミュージシャンに人気があるようだ。
ブラジル大好き、というタイプのボサノヴァ・ファンにとっては、スタン・ゲッツのあの演奏が思い浮かんでしまうのかもしれない。
いろんな意味で私には縁遠い曲だったのだが、ずいぶん前にぜひ訳してくれと言ってくれた方がいて、課題となっていた。やってみると、結構いい曲だなとも思う。というか、相変わらず私の演奏はあちこちでいい加減で、ほんとに申し訳ないです。

2010年1月15日

マツリ・ダンスと松本ぼんぼん その1

何から書きはじめるべきだろうか。
大糸線の有明駅前にあるブラジル系ショップのことかな?
それとも、サンパウロで食べた薩摩揚げのこと?
あるいは、数年前から盆踊りの将来が気になってることかも?
もしかしたら、高校のときの友だちでブラジル人のホドリゴはサッカーやダンスが苦手だったという思い出話かも……。
なんにせよ、マツリ・ダンスがこれほど気になるのは、そういう前史もあったということだ。

細川周平『遠きにありてつくるもの―日系ブラジル人の思い・ことば・芸能』という本については、前に少し書いた。この本によれば、ブラジルに渡った日系人たちはカーニヴァルやサンバというあちらの「メイン・カルチャー」にはいまひとつ馴染めず、細々と日本独自の芸能文化を楽しんでいたようなところがあるようだ(私の解釈では、やっぱ日本人にサンバはかなり敷居が高いのだ)。
もちろん盆踊りも、そんな日系文化のひとつである。だが、どうも三世の時代になって盆踊りカルチャーは変容を遂げ、日系人の外へまで広がりはじめたようなのだ。

この記事によると、北パラナの中心都市ロンドリーナ(Londrina=人口約50万)発の日系文化である「マツリダンス」が熱いという。

マツリダンスは、毎年9月に行なわれるロンドリーナ祭りで踊られる創作盆踊りで、15年ほど前に「ボンオドリ・ノーヴォ」(新しい盆踊り)としてこの地域ではじまったという。盆踊りを基礎にした振り付けにポップスやストリードダンスの動きを加え、日本のポップミュージック「松本ぼんぼん」、「島唄」、「ギザギザハートの子守唄」、「ランナー」など、ジャンルもテンポも異なる曲をアレンジしているのが特徴だ。生演奏をバックに男女の歌い手が歌い、お神輿を据え付けた舞台の上では祭り太鼓と踊り部隊が盛り上げる。



どうやら、こんな感じらしい。
(最近はここに書いてあるようなサンパウロだけでなく、バイーアあたりにも広がりを見せ、本家ロンドリーナでの祭りの参加者もこの記事以降さらに増えているようだ)

そして、ここで流れているのがが上記の「松本ぼんぼん」である。
「島唄」「ギザギザハートの子守唄」「ランナー」はまあ分かるとして、この曲は一体何なのか?
ブラジルの人気曲なのか……。





(よく見ると2つはバイーアの同じ場所みたいだけど)
いい感じで盛り上がっている。

さて、この「松本ぼんぼん」、私はまったく知らなかったが、信州出身の妻によれば松本ではかなりメジャーな存在だという。

ウィキペディアによると……。
略して、「松ぼん」というところが、ちょっと可笑しい。

それにしてもYouTubeなどの動画を見ると、毎年8月に行われているというこの祭りの様子は、私たちにはごく見慣れたものだ。
ただひとつ、ちょっと異様なのが曲調である(笑)。
リズムもアレンジも、盆踊りの伝統を完全に無視している。
浮き立つような楽しさは、ちょっと他にないのではないだろうか。
言葉で説明すると難しいが、あのノリノリな阿波踊りでさえ、地面に吸い付くようなベタっとしたところがあるのに対し、この洗練とはほど遠い「松本ぼんぼん」には、逆に地面から浮き上がるようなところがある。

ちなみに、MP3と歌詞はここにあるから、興味のある人はじっくり聴いてみてほしい。

私が聞いたところでは、松本というところはとても真面目な文化を大切にする土地柄である。たぶん、学問や伝統を愛する松本の良識派は、この曲を苦々しく思っているのかもしれない……。

だが、たぶん松本か安曇野あたりに出稼ぎにやって来た日系人は、この曲が延々とループされる夏の祭りに魅了されたに違いない。私はそんな風に想像している。
私自身も、いろいろ動画を見ているうちに、この曲が頭から離れなくなり、いつか絶対松本ぼんぼんに行くぞと心に誓ったのである……。
(次号に続く)

2010年1月7日

タクアベ

新年早々、目の前に仕事がなくなってしまったので、ちょっと部屋を片づけたり、途中で止まっていた本を再び読み始めたり。

以下は、ウルグアイ最後のインディオ(チャルア人)がパリの自然科学アカデミーに送られたというエピソードの一部。

タクアベは楽人の才であった。博物館の観客が立ち去ると、音楽を奏でていた。唾で湿した細い棒きれで弓をこすり、馬のたてがみの弦をかき鳴らし、甘くふるえる調べを響かせたものだ。カーテンの陰で彼の様子を窺ったフランス人たちによれば、彼が生み出すのは実に静かな、抑えた音色、聞き取れるか取れないかの内緒話にも似た響きだという。
(エドゥアルド・ガレアーノ『火の記憶2』より)

2010年1月6日

トムへの手紙2010

明けましておめでとうございます。

さて、今年最初の録音は新訳2つ。
まずは、「トムへの手紙 2010」
原曲は、Carta ao Tom '74。トッキーニョの曲で、歌詞はヴィニシウス・ヂ・モラエス。
トム・ジョビンと一緒にたくさん曲をつくっていた昔を懐かしむ74年の歌というわけ。
私のほうは、すでに亡くなった尊敬するジョビン先生に対して、
素敵な曲をたくさんつくってくれて有り難う、という歌になっている。
なので、これは「翻訳」とはいえない。

もうひとつは、
「Coracao Vagabundo(彷徨う心)」
カエターノの有名な曲だが、難しいというか、なんというか、
ずっとやろうと思っていてできなかった課題曲のひとつ。
出来映えはというと、あまり気に入ってはいない。
というか、この歌、何が言いたいんだろう? いまだによく分からない(涙)。

そんなわけで、本年も調子外れな感じでどうぞよろしくお願いいたします。