こちらはお互いにまったく関係のない2冊。
瀬川昌久+大谷能生『日本ジャズの誕生』
対談本なんて安易に読むもんじゃないと思いつつ、つい買ってしまった。この本が扱う、戦前から戦後すぐにかけてジャズっぽい音楽に惹かれるからだ。二村定一の「青空」「アラビアの唄」、私もライブでやったことがある「南京豆売り」、服部良一アレンジの「山寺の和尚さん」「流線型ジャズ」、そして戦後の笠置シヅ子のブギウギまで。
2人の対談者と同じく、私もときどき、歴史の「もしも」で日本のポピュラー音楽は少し違った形になる可能性があったのではないかと夢想することがある。
そして、踊る、歌うという要素から離てしまった以後のジャズにはどうも興味がもてない。
本としては、まあ資料集という感じだが、色川武大の素敵な文章が引用されていたのが嬉しかった。『唄えば天国ジャズソング』とかいう本らしい。こんど探してみよう。
ちょっと長いけど、引用。
「……二村定一がそこで唄っている「アラビアの唄」というのが、実にまたいいのである。(中略)詩も見事にナンセンスでくだらないが、曲もまた、エキゾチックの安物で、格調などはケもない。誤解されると困るが、くだらなくて、安手で、下品に甘くて、この三つの要素が見事に結晶していて、出来あがったものは下品であるどころか、ドヤ街で思いがけず柔らかいベッドに沈んだような、ウーンと唸ってちょっとはしゃぎたいような気分にさせてくれる。
私にいわせれば、唄とはこういうものであってほしい。変に意味があっては困る。人生に相当するような重い部分があってもいけない。改めて手にとれば実にくだらない。しかしそのくだらなさが昇華されて、現実のくだらなさとはまた別になっている必要がある。
それが何故、命から二番目に大切なものになるのか、そう思わない人にはなかなか説明しにくい」
佐藤克文『ペンギンもクジラも秒速2メートルで泳ぐ』
なんとなく手にとったのは、大好きなペンギンのあまり可愛くない写真が巻頭にあったからだ。
データロガーというさまざまな記録装置を使って、ペンギンやらウミガメやらアザラシの、まあどうでもいいけど未知の生態を探求するという、非常に愉快な本だ。
ペンギンは潜るとき息を大きく吹い、アザラシは吐くらしい。その結果、彼らの泳ぎがどう違うか……。
本当にくだらなくて、命から二番目に大切なものになりうる感じ。
あれ、無理やり関係づけちゃった。
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