2009年12月17日

ガルシア=マルケス→シャキーラ(脱線)

こっそりホームページを復活させてデザインを一新させたりしている。特に意図はないが、まあいいやという感じである。
作業はまだだいぶ続きそうなので、とりあえずお休みしていた読書の話など。

この間のメインイベントは、なんといってもガルシア=マルケスの自伝「生きて、語り伝える」。待ってました。嬉しい。
vivir para contarla というのが原題。最後のlaは人生なのかな。だとすると、人生を語るために人生を生きる、みたいな意味だろうか。なんとなく、へびが尻尾を噛んでいるような、軽くていいタイトルだ。
それにくらべると「生きて、語り伝える」というタイトルはどうも好きになれない。
というか、歌手とか音楽家なんかもよく使う「伝える」という言葉自体が、私はどうも苦手である。基本的に、何をやっても「伝わる」とは思ってないし、別にそれでいいじゃないかという投げやりな気持ちがあるのだろう。
とはいえ、素晴らしい日本語タイトルも思い浮かばない。タイトルって難しい。そして翻訳も。

だいぶ脱線してしまった。
さて。急ぐ読書でもないので、じっくり楽しませてもらった。最近の読書で大きく変わったことといえば、電源のついたパソコンがそばにあることではないだろうか。それは当然のことながらインターネットにつながっている。
昔は分からないことがあっても読み飛ばしていたことが多い。
辞書はたまに調べるとしても、百科事典をひもといたりするほどの真面目な読者ではなかった。気になることがあっても、そのうちなんとなく見当がつくだろうし、わからなくても、そのうち忘れてしまう。
でも、インターネットなら気軽である。
だから、たとえばコロンビアの現代史や都市名など、分からないことがあれば、ちょこちょこっと調べてしまう。これは勉強になるが、なんとなくお気軽すぎる気もする。
そんなこんなで、読書がいつのまにかネットサーフィンになってたりしていることもある。

今回でいうと、一番の収穫は、ガルシア=マルケスからシャキーラへの脱線かもしれない。
ガルシア=マルケスが同郷であるシャキーラをたたえる賛辞が気になった。ついでに、彼女が生まれ、マルケスも暮らしたバランキーヤという街について。

「シャキーラの音楽は、誰のものとも似つかない個性の刻印が押されてあり、例え何歳であったとしても、彼女のようにイノセントなセクシュアリティを持って踊ったり歌ったり出来るような人間はいない。彼女はまるで自分で自分を発明してしまったかのようである」

いかにもマルケスらしい言い方。それはともかく、彼女の踊りをユーチューブで見たりしているうちに、私も「誰のものとも似つかない個性の刻印」に魅了されたというわけ。
でも、シャキーラのことはまた機会があったら別のところで書こう。

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