2007年5月16日

歌詞はおまけ?

詩というものに少し興味をもちはじめた頃、欧米のポピュラー音楽をよく聴くようになった。
でも、この2つはちっとも結びつかなかった。
もちろん、好きな歌を歌ってみたいという欲求はあり、仕方なく英語の歌詞を覚えたりはした。
でも、正直いって歌詞の内容はどうでもよいと思っていた。
日本のポップスをあまり聴かなかったこともあるかもしれない。
歌はサウンドの一部で、なんとなく響きがよければ十分だと思っていたのだ。
面白いことに、日本のアーティストではほとんど例外的に聴いていた矢野顕子が、歌詞の内容は重要ではなく、音楽がよければいいと思っている、という趣旨の発言をしているのを読んだことがある。

そして、その後は考えを変えたのかというと、実はあまり変わっていない。
私は基本的に、歌詞はそれほど重要じゃないと思っている。
歌詞なんかに頼らず、音楽を音楽として存在させることのできるミュージシャンを尊敬する。
じゃあなぜ今みたいなこと(歌詞中心に見える活動)をやっているかといえば、端的にそれしかできないからだ。

もっとも、母語である日本語の歌詞を聴いた場合、それが音楽を邪魔することは多くある。
一体、何を馬鹿なこと言ってるんだ? と思ったり、
かっこつけてんな~、と思ったり、
どこかの企業の宣伝文句みたいだなあ、と思ったり、
むしろ「音楽を邪魔しない」と感じる歌詞のほうが少ないとすらいえるかもしれない。
そういうレベルでは、やっぱり矢野顕子の歌詞は結構好きだ。

でも、本当のことをいうと、こういう意識では、いい音楽はつくれても、
「いい歌」はできないんじゃないだろうか。
言葉と音楽がどうしても切り離せないところで生まれた歌。
なんとなくはじめてしまったこの「日本語化」という作業のなかで、
期せずして私はその領域に触れてしまい、少し戸惑っているところだ。

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