2008年10月23日

シリアの花嫁とオフサイド・ガールズ

今回は珍しく映画の話だ。
友人のお誘いで『シリアの花嫁』という映画を見ることになった。
ゴラン高原のイスラエル占領地から、シリア側へ嫁ぐ結婚式の一日を描いた物語。
複雑な政治情勢を誰もが共感できる「家族の物語」にしっかり落とし込んだのは、素晴らしいと思う。
エンターテインメント性もちゃんとある。
NHKのドキュメンタリーなんかで、谷間の境界線を挟み拡声器で話す住民の様子を見たことがある人もいるだろう。このあたりの問題に興味のある方はぜひ映画を観てほしい。

とはいえ、私としては、大声では言えないような小さな不満が胸の奥に残った。
真面目で立派なよくできた映画ではあるけど、この映画には何かが足りない気がしたのだ。
映画ならではの「魔法」みたいなものだろうか。
もちろん、NHKのドキュメンタリーを観るより、ずっと強い印象は残す。でも、その延長線にあるような感じがしないでもなかったのだ。

どんな映画にそんな魔法があるのか、ということで、
今年DVDでみたイランの『オフサイド・ガールズ』を紹介したい。
男性社会で翻弄される女性たち、というテーマは、それなりに似ている。
だが、こちらは不真面目というわけでもないが、サッカー観戦をしたい女性たち、という政治的にも些細な出来事を描いている。出てくる「ガールズ」も、みな人格者とは言えない。
『シリアの花嫁』なんかに比べると、明らかに分が悪い。全然、立派じゃないのだ。
けれども、私はこの映画に夢中になったし、最後までその世界に吸い込まれたままだった。
『シリアの花嫁』を観ながら、いろいろ考え事をしてしまったのとは、ずいぶん違う体験だ。

私が言いたいのは、どちらが優れているということとは、ちょっと違う。
検閲の厳しいイランでささやかな反抗を試みることと、別の意味でやはり厳しい状況にあるイスラエルにおいて、センシティブな政治問題を正面から扱うことは、同列に論じるべき事柄ではない。
けれども、ひとつの映画のなかにある「立派さ」「真面目さ」、もうひとつのなかにある「ユーモア」「悪戯」。
結果的にはどこか似た結論で終わってる2つの映画だけに、これは、比べずにはいられない。
面白い作品の創作というのは、そもそもやや不道徳的なことなんじゃないだろうか、と考えてみたりする。

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