全体に不調である。
お店の経営状態も苦しいので、私はレイオフ状態になっている。週末など忙しいとき以外は「自宅待機」しているのである。
そんなわけで時間もあるし、本業をばりばりやるとか、音楽活動をがんがんやるとか、すればいいのだが、なんとなくだらだら暮らしてしまっている。
優雅に本でも読もうと思って一冊買ってきたのだが、これがいけない。エンリーケ・ビラ=マタス『バートルビーと仲間たち』。「書けない症候群に陥った作家たち」についてのお話。まあ、これだけで不調なときに読むべき本じゃないということは、分かりそうなものだけど……。昔読んでいたら、きっと面白いと思ったのだろうとは思う。でも、今はだめ。半分くらい読んだところで、全然進まない。
そんなわけで、ぼんやりテレビを眺めていると、NHKの番組でゴリラの鼻歌を紹介していた。テレビ番組も、たまには素晴らしいものを映して(聴かせて)くれるもんだと思ったが、それにしてもなんとも地味な鼻歌である……。
だいぶ前に、『歌うネアンデルタール人』という本を読んだのだが、これが面白かった。
人間が言語以前にもっていたコミュニケーションのあり方について語ったもので、著者はこれを「全体的、多様式的、操作的、音楽的、ミメシス的な」といった意味で「Hmmmmm」と呼んでいる。歌は「音楽」と「言葉」に分解できるが、かつては一体のものとして分けることができないものだったのだろう。
で、私は決して聴くことのできないネアンデルタール人の「歌みたいなもの」を、これまでなんとなく力強い、攻撃的なものと想像していた。
でも、ゴリラの鼻歌を聴いて、あ、こんな感じだったのかも、と考えなおした次第。まあ、実際のところはゴリラとネアンデルタール人では骨格も違うだろうし、もちろん分からない。
河童の鼻歌の言い伝えとか、セイレーンの歌声とか、そういう「聴くことのできない音楽」には妙に心惹かれるものだ。『バートルビーと仲間たち』を思わず買ったのも、きっと「書かれなかったテキスト」というものに惹かれたからだろう。
でも、今の私にはゴリラの鼻歌くらいのほうがピンとくる。
2 件のコメント:
お肌が荒れると心も荒れるし、また逆も真なり...、ってお肌の調子は悪くないですよね、ははh。1年前、絶不調の時に、偶然Otto さんのサイトに辿り着いて、その歌声に癒されたわるいさるです。人生難儀なことが誠に多いですが無理しないでやって行きましょう:)
>わるいさるさん
いつもいろいろ書き込んでいただき、ありがとうございます! 毎度、力づけられております。お互い、難儀をかわしつつ、なんとかやっていきましょう~。
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