2010年10月4日
過剰な過剰さのはなし
奏@国立のジョアン・ジルベルトトリビュートなライブにて。
右は尊敬するギタリストの「よなごん」こと代永光男氏、真中はお馴染柳家小春師匠。
他人の自己分析とか自己省察とか、読んでもつまらないかと思いますがどうかお許しを。
私は「過剰さ」というものが大の苦手だが、自分のなかにもどこか「過剰さ」があり、また「過剰さ」を引き寄せてしまうようなところがあるように思う(要するに、困った人間ということだ)。
というのも、昨日は国立の奏さんというお店で素敵なイベントに出させていただいたのだが、自分としてはもう少し軽く、すっとやめておけばよかった……と後悔したわけ。
出演者が多く、みなさん非常に内容の濃い演奏だったので、全体によいライブではあるんだけど、大変ヘビーで胃にもたれるものになってしまったのではないかと心配しているのである。
その点、柳家小春師匠なんかはちゃんとバランスを心得ていらっしゃる。
昨日の場合は、次に登場して流れをつくった私が全面的に悪かたったのだ(笑)。
とはいえ、こういうぎゅうっと詰めこんだものが嫌いかというと、そうでもないようにも思え、自分でも実に訳がわからない。
そうだとすれば、わざとやっているということになる。
他人がうんざりするようなことを、私はいつもやってるなあ、とか反省しながら次の悪事を企んでいるようで非常に始末が悪い。
そういうわけで、過剰さのついでというか、大量の動画をアップしちゃおう……。
マダムとの喧嘩は何のため?
トローリー・ソング
三月の水
Eu Sambo Mesmo
弾語りもかっこいい杉山茂生さん、そしていつもながら素晴らしい小春師匠との「カエル」
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2 件のコメント:
近いので観に行きたかったな。
過剰なもの(たとえばバロック建築など)好きだけど、過剰でありつつバランスがとれているところに美を感じるのかもしれない。
ヴィスコンティと小津がまったく違うものとは思えない。
つぎの機会にはぜひ~。
難しいけど、過剰さとシンプルさを往復することでいいものができるような気はなんとなくするなあ。
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