そんなわけで、毛利眞人『ニッポン・スウィングタイム』は、期待して読んだ。帯には「昭和文化史の書き直しを迫る」とあり、勇ましい。確かにすごい情報量で、戦前にこれほどのジャズ文化が花開いていたんだということは伝わってくる。
そのうち、CD化されているのはごく僅か。もっとたくさん聴いてみたい。
とはいえ、読み進めていくうにちなんだか飽きてきてしまった。「ホットな演奏」だの「レベルが高い」だの「凝ったアレンジ」だの「アメリカンなフィーリング」だの、音の説明を聞いていても何か違うという気がしてしまう。
まあ、私自身ホットでもないしレベルも低いし、音楽に対するそういう見方が苦手というのもある。
私が漠然と惹かれている「戦前のジャズ」は、もうちょっと違うもののような気がした。もしかしたら、それは本当はジャズですらないのかもしれない。
そんな風に思いはじめたところで、読んだのが渡辺裕『日本文化モダンラプソディ』。これが、とにかく面白い。もっと早く読まなかったのが悔やまれる本だ。
邦楽改良と「新日本音楽」、大阪における洋楽の受容、宝塚と国民劇構想といったテーマを語りながら(その細部もひとつひとつが面白い)、今はなくなってしまった「日本文化のもうひとつのあり方」について語る。それは無理に要約していうと、折衷的であり、革新的であり、ついでにやや帝国主義的なものだ。
私が「戦前のジャズ」というものに惹かれていたのは、もしかしたらこういう部分であったかもしれない。もし、音楽をはじめとする文化をめぐる歴史が別なものになっていたら……という想像をかきたてられるだけでなく、自分のなかには隠れた右翼的な部分にも目を向けさせられる。
読みながら、「外に対しては自分もよく知らない日本文化を誇り、内に対しては外国文化の『本場度』を誇る」という訳のわからない態度の奥にある問題の根は深いなと思え、やや暗い気持ちになった。そういえば、私自身もそれとまったく無縁というわけではないし。
なんにせよ、とにかくお勧めの本です。
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