2011年1月12日

短編集の一作目、アルバムの一曲目

冒頭の作品というのは、セールス的な意味でもキャッチーな力作を置くことが多いんじゃないかと思う。
少なくとも私はアルバムの一曲目に思い入れのあるものが多く、極端にいえば出だしの思い出せないアルバムというのは、イコールあまり好きじゃないアルバムと言えるくらいの気もする。
長編小説なんかでいえば、冒頭の一行に近いのかもしれない。場合によっては作品全体を決めてしまうような力があるわけだ。

さて、『変愛小説』は「れんあい」じゃなくて「へんあい」だそうだ。
恋と変の字が似すぎていてやや地味なタイトルになってしまっている気もするが、とても面白いので2冊とも読んでしまった。
ストレートすぎる恋愛小説はさすがに読むのが恥ずかしいんだけど、これなら、というところかもしれない。んでもって、どちらもみごとに一作目だけが記憶に残りそうで、それはそれでやや損をしたような気分もなくはない。
一冊目の冒頭は、木に恋した人を描いた散文詩のような美しい作品。
二冊目の冒頭は、イケメンばかりの島に流れ着いたギャルの愉快な語り。「彼氏島」というタイトルも、とにかく笑える。
どっちも、訳者である岸本佐知子さんの力量がなくてはここまで素晴らしくならなかっただろう。

ところで、たぶん時代は捨て曲は買いたくない、好きなものを好きなだけチョイスして読む、という感じなのだろう。本一冊、レコード一枚とかいう物理的な大きさはもう意味がないし。もしかしたら、2冊の短編集のうちでこの2作を読めばいい、という考えも成り立つのかもしれない。
しかし、なんとなく寂しい気がする。
装丁とかジャケットデザインも大事だけど、どちらかというと、この物理的制約による「無駄」や「余計なもの」「駄作の入り込む余地」がなくなってしまうのが、寂しいのだろう。
(とりあげた短編集に駄作がたくさんあったという意味ではありません)

0 件のコメント: