2009年12月23日

年忘れそっとナイト

まずは最近の録音より。
ノエル・ホーザ「不幸の予感」
邦題のイメージと歌詞の中身とのギャップがときどき話題になる曲です。

さて、12/28(月)19時頃から四谷だあしゑんかにて、
ほぼ月一のオープンマイクイベント「そっとナイト」があります。
飲んだり、食べたり、お喋りしたり、歌ったり、ギターを弾いたり。
私も、いつもより多めに演奏させていただこうかと思っております。
11時くらいまでやってると思いますんで、ふらりとお立ち寄りくださいませ!

2009年12月18日

マン・オン・ワイヤー

書かなければならない本がもう一冊。

フィリップ・プティ『マン・オンワイヤー』



フランス出身の綱渡り師が、今はなきニューヨークのツインタワー、世界貿易センタービルにワイヤーをかけ綱渡りしたときの記録だ。もちろん無許可。無謀な計画を実行に移していく様子は、まさにテロリストである。そして、その結果の美しさがあの事件とみごとな対照をなしていて恐ろしい。

フィリップ・プティについてウィキペディア(英語版)の説明

この人に興味をもったのはずいぶん前のことだ。
ポール・オースターが翻訳したものを集めたTranslationという本に、フィリップ・プティの「綱の上で On The High Wire,」が入っている。素晴らしく美しい文章なので、私はこれがぜひ日本語にならないだろうかと長らく思っていたのだ。
しばらくたってから、プティが新しい本を書いたことを知った。たぶん、9.11がきっかけになったのだろう。
それがこの『マン・オン・ワイヤー』であり、私は英語版をさっそく取り寄せた。ろくに本文を読まず、写真をしげしげと眺めるだけで満足した。そんなこんなですっかり忘れていたのだが、まさか映画化までされているとは。今年の秋に気づいたとき、アメリカでの公開はおろか、日本での公開も終わっていた。遅まきながら上記の翻訳を読んでみたというわけ。プティは来日して日本で綱渡りのデモンストレーションまでしていたというから、なんとも口惜しい話である。
とはいえ結局、「綱の上で」はまだ日本語に訳されていないので、ぜひ誰か訳してほしい。

そして、私は今、映画のDVD到着を待っているところである。

2009年12月17日

ガルシア=マルケス→シャキーラ(脱線)

こっそりホームページを復活させてデザインを一新させたりしている。特に意図はないが、まあいいやという感じである。
作業はまだだいぶ続きそうなので、とりあえずお休みしていた読書の話など。

この間のメインイベントは、なんといってもガルシア=マルケスの自伝「生きて、語り伝える」。待ってました。嬉しい。
vivir para contarla というのが原題。最後のlaは人生なのかな。だとすると、人生を語るために人生を生きる、みたいな意味だろうか。なんとなく、へびが尻尾を噛んでいるような、軽くていいタイトルだ。
それにくらべると「生きて、語り伝える」というタイトルはどうも好きになれない。
というか、歌手とか音楽家なんかもよく使う「伝える」という言葉自体が、私はどうも苦手である。基本的に、何をやっても「伝わる」とは思ってないし、別にそれでいいじゃないかという投げやりな気持ちがあるのだろう。
とはいえ、素晴らしい日本語タイトルも思い浮かばない。タイトルって難しい。そして翻訳も。

だいぶ脱線してしまった。
さて。急ぐ読書でもないので、じっくり楽しませてもらった。最近の読書で大きく変わったことといえば、電源のついたパソコンがそばにあることではないだろうか。それは当然のことながらインターネットにつながっている。
昔は分からないことがあっても読み飛ばしていたことが多い。
辞書はたまに調べるとしても、百科事典をひもといたりするほどの真面目な読者ではなかった。気になることがあっても、そのうちなんとなく見当がつくだろうし、わからなくても、そのうち忘れてしまう。
でも、インターネットなら気軽である。
だから、たとえばコロンビアの現代史や都市名など、分からないことがあれば、ちょこちょこっと調べてしまう。これは勉強になるが、なんとなくお気軽すぎる気もする。
そんなこんなで、読書がいつのまにかネットサーフィンになってたりしていることもある。

今回でいうと、一番の収穫は、ガルシア=マルケスからシャキーラへの脱線かもしれない。
ガルシア=マルケスが同郷であるシャキーラをたたえる賛辞が気になった。ついでに、彼女が生まれ、マルケスも暮らしたバランキーヤという街について。

「シャキーラの音楽は、誰のものとも似つかない個性の刻印が押されてあり、例え何歳であったとしても、彼女のようにイノセントなセクシュアリティを持って踊ったり歌ったり出来るような人間はいない。彼女はまるで自分で自分を発明してしまったかのようである」

いかにもマルケスらしい言い方。それはともかく、彼女の踊りをユーチューブで見たりしているうちに、私も「誰のものとも似つかない個性の刻印」に魅了されたというわけ。
でも、シャキーラのことはまた機会があったら別のところで書こう。

2009年12月14日

また新しい歌が

今さらながら、「カーニヴァルの朝」を訳してみた。

♪また美しい朝 新しい歌が……♪

今さらというのも、ボサノヴァといえばこれを思い出す人も意外に多いのではないかと思うからだが、典型的なボサノヴァとは言えないだろう。
私も、実は結構苦手な曲である。
映画『黒いオルフェ』でこの曲が使われるシーンは好きだが、自分で歌う気にはあまりなれなかった。
まあでも、やっぱり訳しておこうということでやってみた。
以上は、暇人の言い訳というか、たわごとである。
『黒いオルフェ』といえば、なんといっても路面電車のシーンが好きだ。
リオに行ってあの電車に乗ったときが、たぶん私の人生で一番幸せだった瞬間かもしれない。
幸せというと語弊があるかな。
とにかく興奮した。

2009年12月8日

試行錯誤は続く

昨日はたぶん今年唯一の忘年会だった。
師走というが、私の仕事はお店以外もう大体終わっている。
こんなんで大丈夫なんだろうか、と不安も抱きつつ、
ひきつづき録音作業を楽しむ、というか苦しむ。

というわけで、また数曲アップ。
おうちには帰らない
よせばいいのに
トローリーソング
フェリシダージ

2009年12月5日

ひさびさの

約3カ月ぶりの投稿です。
この間、仕事がわりと忙しかったこともあり、ほとんど録音もしていなかった。
ギターは弾いていたが、ライブ活動も低調、全体に低調な人生である。

ひさびさにまとまった時間がとれたので、いくつか録音してみた。
録音の感覚が戻ってこない上に、なぜか少し演奏や歌の感じが変わっており、
しかも、これからどういう風なものをやりたいのか、いまひとつ分からない。
旧作も含め録音しなおし、新しいCD-Rもつくりたい、というのだけがあって、
方向性が定まらない状態だ。
やっぱ安いシンセ買ってストリングス入れようかなあ、
それともギターと歌だけで行こうかなあ、などといい加減なことを考えている。

というわけで、やや中途半端な状態ながら何曲か。
偽りのバイアーナ
マダムとの喧嘩はなぜ?
四葉のクローバー
私のサウダージ

読書記録とかもいろいろ書こうと思う。
最近、ツイッターとかで何となくお茶を濁していたが、なんとなく物足りない気がしてきた。
(何がどう物足りないんだろう……)