ジョアン・ジルベルトが出演するビールの宣伝が面白いので、日本語化してみた。
CMソングは独特の寸詰まり感があって、結構好きだ。
ところでブラジルにはビールを呼ぶのにchoppとcervejaの2種類の言葉があるが、前者がいわゆる「樽生ビール」、後者が瓶や缶のビールと思っていた。
この歌にも2種類がでてくる。
前者は商品名、後者は普通名詞として。
で、これは映像にも見える通り樽生の宣伝ではないので、どうやら日本と同じく、ブラジルでも「生」という言葉の使い方には少し混乱があるようだ(もしかしたら、まったく同じ状況にあるのかもしれない)。
そんなことを考えながら「なまで」を繰り返してみたのだが、この部分、すごく気に入っている。
2007年11月10日
越境の時
鈴木道彦『越境の時 一九六〇年代と在日』
ひさびさに会った友人が勧めるので、読んでみた。
すごかった。今年の新書ナンバーワンだな。
内田樹『私家版・ユダヤ文化論』
も、
福岡伸一『生物と無生物のあいだ 』
も、
斎藤美奈子『冠婚葬祭のひみつ』
も、
この本の迫力にはちょっとかなわない気がする。
著者にこの本を書くように説得したという上野千鶴子にも、感謝すべきだろう。
内容については、とても解説できる自信がない。
なので騙されたと思って読んでみてください。
ひさびさに会った友人が勧めるので、読んでみた。
すごかった。今年の新書ナンバーワンだな。
内田樹『私家版・ユダヤ文化論』
福岡伸一『生物と無生物のあいだ 』
斎藤美奈子『冠婚葬祭のひみつ』
この本の迫力にはちょっとかなわない気がする。
著者にこの本を書くように説得したという上野千鶴子にも、感謝すべきだろう。
内容については、とても解説できる自信がない。
なので騙されたと思って読んでみてください。
2007年11月7日
ソル・フアナ
ソル・フアナ『知への賛歌』(光文社古典新訳文庫)
文庫名なんて書かなくてもいいと思うんだけど、尊敬をこめて。
ロダーリ『猫とともに去りぬ』
でこの文庫シリーズに注目し、『カラマーゾフの兄弟』
が売れてると聞き、スゴイと唸った。
でも、さすがに、これが出るとは思わなかった。
弱小出版社でもいいから、訳はあまりよくなくていいから(旦敬介訳はもちろん素晴らしかった)、とにかくソル・フアナの詩集が読んでみたかった。
だから、感謝してもしきれないんだけど、本当はできれば詩の割合をもう少し増やしてほしかった……。
バロック的で私の理解が及ばないんだということは想像できるが、ここで訳された多分比較的分かりやすい作品から想像するに、この数倍分かりにくい作品だとしても、結構イケるんじゃないか。
まあしかし、詩集というだけで売れないらしいし、あまり贅沢は言えない。
実際問題、彼女の詩のよさをここで説明するのはちょっと難しい。
私が「ボサノヴァ日本語化計画」でやっていることにも通じるが、そこには私の誤読が大いに含まれていると感じるから。
だから、この日本では無名の作家を取り上げるのに、書簡2つを選んだというのは、それなりに正しい選択なのだろう。
女性なのに、修道女なのに、詩なんか書きやがって。
そういう時代の話。彼女はこれらの書簡で自己弁護を試みる。
それがなんとも言えず面白くて、機知に富んでて、軽やかで、深みもあって、そして時代を先んじていた。
それはまあ、そうだろう。
「私だけの部屋」をもてなかった彼女は、作家であり続けるために修道院に入った。
でも今を生きる男の端くれとして感じるのは、女性は今もこんな感じでキツい状況にいるよなあ、それに比べて男はテキトーなことを、不用意な差別発言を、軽率な自慢を、垂れ流しているよなあ、というようなことだ。
そんなわけで(どんなわけで?)、光文社文庫からは今後も目が離せない。
文庫名なんて書かなくてもいいと思うんだけど、尊敬をこめて。
ロダーリ『猫とともに去りぬ』
でも、さすがに、これが出るとは思わなかった。
弱小出版社でもいいから、訳はあまりよくなくていいから(旦敬介訳はもちろん素晴らしかった)、とにかくソル・フアナの詩集が読んでみたかった。
だから、感謝してもしきれないんだけど、本当はできれば詩の割合をもう少し増やしてほしかった……。
バロック的で私の理解が及ばないんだということは想像できるが、ここで訳された多分比較的分かりやすい作品から想像するに、この数倍分かりにくい作品だとしても、結構イケるんじゃないか。
まあしかし、詩集というだけで売れないらしいし、あまり贅沢は言えない。
実際問題、彼女の詩のよさをここで説明するのはちょっと難しい。
私が「ボサノヴァ日本語化計画」でやっていることにも通じるが、そこには私の誤読が大いに含まれていると感じるから。
だから、この日本では無名の作家を取り上げるのに、書簡2つを選んだというのは、それなりに正しい選択なのだろう。
女性なのに、修道女なのに、詩なんか書きやがって。
そういう時代の話。彼女はこれらの書簡で自己弁護を試みる。
それがなんとも言えず面白くて、機知に富んでて、軽やかで、深みもあって、そして時代を先んじていた。
それはまあ、そうだろう。
「私だけの部屋」をもてなかった彼女は、作家であり続けるために修道院に入った。
でも今を生きる男の端くれとして感じるのは、女性は今もこんな感じでキツい状況にいるよなあ、それに比べて男はテキトーなことを、不用意な差別発言を、軽率な自慢を、垂れ流しているよなあ、というようなことだ。
そんなわけで(どんなわけで?)、光文社文庫からは今後も目が離せない。
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