2007年6月22日
2007年6月20日
ノンフィクションの文体
対象は違うが、過去のある事件にこだわり、取材と時代的な考察を行ったという点で、この2冊は似ているのかもしれない。
なんとなく湿った感じのする文体に、(自分にとっての)同時代感のようなものを意識させられ、気持ち悪かった。
どちらも、それなりに面白いのだが、著者の個人的な思い入れの強さが、どうも邪魔に感じられた。
別に主観的な書き方が悪いというのではない。
テーマが重いというのなら、余計に、からっとした文章にしたほうがよいのではないかと思うのだ。
悲しい歌を悲しそうに歌う、というスタイルが、あまり好きじゃないのと似ているかも。
なんとなく湿った感じのする文体に、(自分にとっての)同時代感のようなものを意識させられ、気持ち悪かった。
どちらも、それなりに面白いのだが、著者の個人的な思い入れの強さが、どうも邪魔に感じられた。
別に主観的な書き方が悪いというのではない。
テーマが重いというのなら、余計に、からっとした文章にしたほうがよいのではないかと思うのだ。
悲しい歌を悲しそうに歌う、というスタイルが、あまり好きじゃないのと似ているかも。
本選び
ときどき、書店に行くと絶望的な気持ちになる。
何か面白い本はないかと思って探しにいくのだが、とにかく数が多すぎて、だんだん、どうでもいいような気分になってくるわけだ。
そこで、こういう優れた読書家の書評を頼りにしてみる。
ちょっと前の本が多いので、いい具合に文庫化されている本も多く、ありがたい。
出版社別に並んだ文庫から面白そうなのを探すのは、一般書を探すよりもさらに気が遠くなるからだ。
ところで、本屋にないものをamazonで調べてみると、
私と同じように米原さんの本を頼りに読書している人がけっこういるようで面白い。
一見関係のなさそうな本が、「類書」として紹介されているのだ。
何か面白い本はないかと思って探しにいくのだが、とにかく数が多すぎて、だんだん、どうでもいいような気分になってくるわけだ。
そこで、こういう優れた読書家の書評を頼りにしてみる。
ちょっと前の本が多いので、いい具合に文庫化されている本も多く、ありがたい。
出版社別に並んだ文庫から面白そうなのを探すのは、一般書を探すよりもさらに気が遠くなるからだ。
ところで、本屋にないものをamazonで調べてみると、
私と同じように米原さんの本を頼りに読書している人がけっこういるようで面白い。
一見関係のなさそうな本が、「類書」として紹介されているのだ。
2007年6月19日
O Encontro au Bon Gourmet
O Encontro au Bon Gourmet という1962年の録音で、ジョアン・ジルベルトとアントニオ・カルロス・ジョビンとヴィニシウス・ヂ・モラエスが3人で「イパネマの娘」を歌っている。
その前に3人が芝居めいた掛け合いをするのが素晴らしいので、それを訳して歌ってみた。
マニアックな世界というかなんというか、自分のやっていることが馬鹿馬鹿しくて笑える。
ジョアン:愛の秘密を教えてくれる、そんな歌をつくってよ、トム
トム:できないよ。ヴィニシウスの歌詞がなければ、ただのメロディー
ヴィニシウス:この歌を歌うのは、この世でジョアン一人
ジョアン:お二人は偉大です。三人で一緒に歌いましょう
(以下、イパネマの娘を三人で歌う)
João Gilberto (in sweet voice):
Tom e se você fizesse agora uma canção
Que possa nos dizer
Contar o que é o amor?
Tom Jobim (in reedy voice):
Olha Joãozinho
Eu não saberia
Sem Vinicius pra fazer a poesia
Vinicius de Moraes (in deep voice):
Para essa canção
Se realizar
Quem dera o João
Para cantaaaaaaaaaaaaaar
[audience laughter]
João:
Ah, mas quem sou eu?
Eu sou mais vocês.
Melhor se nós cantássemos os três.
[more audience laughter and applause]
All three:
Olha que coisa mais linda
mais cheia de graça [...]
参考サイト
http://daniellathompson.com/Texts/Reviews/Bon_Gourmet.htm
その前に3人が芝居めいた掛け合いをするのが素晴らしいので、それを訳して歌ってみた。
マニアックな世界というかなんというか、自分のやっていることが馬鹿馬鹿しくて笑える。
ジョアン:愛の秘密を教えてくれる、そんな歌をつくってよ、トム
トム:できないよ。ヴィニシウスの歌詞がなければ、ただのメロディー
ヴィニシウス:この歌を歌うのは、この世でジョアン一人
ジョアン:お二人は偉大です。三人で一緒に歌いましょう
(以下、イパネマの娘を三人で歌う)
João Gilberto (in sweet voice):
Tom e se você fizesse agora uma canção
Que possa nos dizer
Contar o que é o amor?
Tom Jobim (in reedy voice):
Olha Joãozinho
Eu não saberia
Sem Vinicius pra fazer a poesia
Vinicius de Moraes (in deep voice):
Para essa canção
Se realizar
Quem dera o João
Para cantaaaaaaaaaaaaaar
[audience laughter]
João:
Ah, mas quem sou eu?
Eu sou mais vocês.
Melhor se nós cantássemos os três.
[more audience laughter and applause]
All three:
Olha que coisa mais linda
mais cheia de graça [...]
参考サイト
http://daniellathompson.com/Texts/Reviews/Bon_Gourmet.htm
豆いろいろ
このブログは音楽のことだけ書こうかとも思ったのだが、
そういう線引きは長続きしないという気もするので、どんどん雑多な内容にしていこう。
というわけで、読書記録なんぞも書くことにした。
「裁きの豆」(カラバル豆)についての記述があった。
なんでも、無罪の人がこれを食べて死なないのは、一気にがっと飲み込んだから吐いてしまう、というのが原因らしい。
いや、これは全然この本のポイントではありません。
非常に面白かった。
もう一冊。
これにも豆についての記述が。
菜食が推進されたナチス時代には、大豆が「ナチス豆」と呼ばれてもてはやされたらしい。
いや、これは全然この本のポイントではありません。 非常に面白かった。
ついでに「ナチスが反タバコ運動に熱心だった」という話を読んで、
なんとなくタバコを吸う言い訳になるかも、と思っていたところもあるのだが、
逆にひさしぶりに禁煙をはじめるキッカケになってしまった。
心の動きというのは、不思議なものだ。
そういう線引きは長続きしないという気もするので、どんどん雑多な内容にしていこう。
というわけで、読書記録なんぞも書くことにした。
「裁きの豆」(カラバル豆)についての記述があった。
なんでも、無罪の人がこれを食べて死なないのは、一気にがっと飲み込んだから吐いてしまう、というのが原因らしい。
いや、これは全然この本のポイントではありません。
非常に面白かった。
もう一冊。
これにも豆についての記述が。
菜食が推進されたナチス時代には、大豆が「ナチス豆」と呼ばれてもてはやされたらしい。
いや、これは全然この本のポイントではありません。 非常に面白かった。
ついでに「ナチスが反タバコ運動に熱心だった」という話を読んで、
なんとなくタバコを吸う言い訳になるかも、と思っていたところもあるのだが、
逆にひさしぶりに禁煙をはじめるキッカケになってしまった。
心の動きというのは、不思議なものだ。
2007年6月9日
ポエシーア
先日、吉祥寺のイルカッフェというところでライブをやらせていただいた。
そのとき、一緒に演奏した川島イタル君に「大学では何をしていたのか?」などと質問されて、少しうろたえた。
まあ、特に何もしていなかったのであるが、所属していた学部や学科のことを話すうちに、 詩について書いた恥ずかしい卒論を思い出してしまった。
これはメキシコの詩人について書いたもので、実にいい加減なものである。
今考えるとこれらの詩は正直いって難解でよく分からなかった。
それで適当な理屈をこね、最後にメキシコへ旅行にいったときに見た夢について書いた。
夢オチの卒論で卒業できるなんて、有難い学校である。
夜の屋台で不思議な食べ物を売っていた。
葉っぱに巻かれているのだが、中には蒸した白い美味しそうなものが湯気を立てている。
食べてみたいなあ、と思って、売っているオッサンの呼び声を聞いていると、どうやら、
「ポエシーア、ポエシーア」
と言っているようである。あれ、ポエシーアって何だっけ。
あ、詩(ポエジー)のことじゃないか、と思ったという夢だ。
この食べ物はチマキに似ているが、たぶん実際にはタマレスというトウモロコシの料理だったと思う。
そのときは、まだ名前を知らなかったのだ。
そのとき、一緒に演奏した川島イタル君に「大学では何をしていたのか?」などと質問されて、少しうろたえた。
まあ、特に何もしていなかったのであるが、所属していた学部や学科のことを話すうちに、 詩について書いた恥ずかしい卒論を思い出してしまった。
これはメキシコの詩人について書いたもので、実にいい加減なものである。
今考えるとこれらの詩は正直いって難解でよく分からなかった。
それで適当な理屈をこね、最後にメキシコへ旅行にいったときに見た夢について書いた。
夢オチの卒論で卒業できるなんて、有難い学校である。

葉っぱに巻かれているのだが、中には蒸した白い美味しそうなものが湯気を立てている。
食べてみたいなあ、と思って、売っているオッサンの呼び声を聞いていると、どうやら、
「ポエシーア、ポエシーア」
と言っているようである。あれ、ポエシーアって何だっけ。
あ、詩(ポエジー)のことじゃないか、と思ったという夢だ。
この食べ物はチマキに似ているが、たぶん実際にはタマレスというトウモロコシの料理だったと思う。
そのときは、まだ名前を知らなかったのだ。
登録:
投稿 (Atom)